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女鑑~おんなかがみ~
第3章 初恋
桜が咲き始めたころ、孝秀は井戸端でスエに言った。
「明日から寄宿舎に入る。きっと手紙を書くから、待っていてほしい」
「無理です。そんなことをしたらみんなに知られてしまいます。
このまえ、職人さんのなかで、正一さんと太助さんがアカに染まって、警察に捕まってから、職人や女中の手紙は改められるようになって」
「なんだ、それは」
孝秀さまは再び、怖い顔をした。

実はこのところ、職人の一部が学生らの影響を受けて社会主義思想を持つようになり、労働争議にかかわる、ということがあちこちの工場などで起こっていたのだ。
 治安維持法ができたこともあって、警察はそれらを厳しく取り締まるようになった。
そんな矢先、若手の職人であった二人が労働争議にかかわっていた疑いがもたれ、警察が住み込み職人や女中の部屋を調べた。実のところ、正一と太助は、飲み屋で知り合った工場労働者が預かっていたビラを中身もよくわからないまま預けられていただけであり、事情がわかるとすぐに放免された。
だが、経営者となったばかりの倉持猛、つまり孝秀の父は、この騒ぎを痛手だと感じ、それ以降、住み込みの職人や女中あてに来た郵便物すべてに目を通すようになっていた。

その騒ぎについて、スエは何一つ気にしたことがなかった。スエの両親は読み書きができず、手紙など寄越したことはなかったのだ。他の女中たちもせいぜい葉書くらいしかやり取りしていなかったので、誰もそれを大きな問題だと思わなかった。

「そんなことがあってはならない、信書の秘密は…父に今度注意しておかなければ…」
孝秀さまは、何か難しいことを言いかけて黙り、
「方法は考えるから、とにかく待っていてくれ。僕も君と夫婦になるまでは純潔を守るから」
と言い残して去った。

************************

スエはそれ以来四年間、一度も孝秀に会ってはいない。

五月のある日、故郷の村に出入りしている口入屋が訪ねてきた。
そして、ここからは暇が出され、もう新しい奉公先が決まっているのだと告げられた。
口入屋はスエを駅で別の男に託した。どこに行くのかもわからないまま汽車に乗せられ、汽車を下りると知らない道を歩かされ、むらさき屋に着いたのだった。
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