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いつかの春に君と 〜 番外編 アンソロジー集〜
第1章 三日月夜にワルツを
「お前が伊織か。そうか…。
調査通り、実に立派な青年だな」
会員制の喫茶室の中、目の前の男が満足気に頷くのを、伊織はどこか他人事のように見つめていた。
…「お父様が伊織様にぜひ、お会いしたいと仰っておいでです。
来週の日曜日の正午に、日比谷の帝国ホテルのティールームにいらして下さい」
父親の顧問弁護士が伊織に面会に訪れ、慇懃だが有無を言わせぬ口調で告げた。
理由も告げぬ一方的な物言いに、伊織は些かむっとした。
しかし、まだ一度も会ったことがない父親に会える欲望には勝てずに、断ることはできなかった。
…父親は当節、高級生地など入手しにくくなったというのに、立派な仕立てのスーツを着込み、恐らくは海外製の葉巻をくゆらせていた。
…貌は…目鼻立ちにやや自分と似通ったところを見出し、伊織は不快に思った。
父親には、全く悪びれる様子もばつの悪そうな様子もなかった。
伊織を、まるで意外な掘り出し物でも見つけたかのような好奇の眼差しで無遠慮に眺めていた。
詫びの一言はおろか、どうしていたかと問うこともない。
伊織は、意を決して口を開いた。
「…あの、何のご用ですか?」
手切れ金代わりの家や生活費、養育費は受け取った。
弁護士は、暗に「これを手にするからには、父親に関わろうとするな」というようなニュアンスを匂わせていたのだ。
ぶっきらぼうな物言いに不機嫌になることもなく、父親は眼を細めた。
「士官学校の理事の一人は私の銀行の顧客でね。君の隠し子は実に優秀だと、密かに伝えにきたのだよ。
首席で入学し、成績も一番だと。士官学校始まって以来の秀才に加え、武術にも長けた逸材だと。
…そこでお前の身上書を見たのだ。
実に立派な成績だ。体格も容姿も優れ、堂々として老成している。
本当に十六か?
いや、驚いたよ。
まさか菊乃がこんなにも良い子を産んでいたとはな。
…まさに、鳶が鷹を産んだのだな」
自分の言葉にさも可笑しそうに笑う。
…何がおかしいんだ。
亡くなった母親を馬鹿にされ、伊織は眉を寄せ父親を見据えた。
父親は、やや居心地が悪そうに居住まいを直し、伊織の機嫌を取るかのように、笑いかけた。
「…伊織と言ったな。
お前を我が家に引き取ってやろうと思っているのだよ。
今すぐ、士官学校には退学届を出して寄宿舎を引き払いなさい。早い方がいい。直ぐに手伝いの下僕を差し向ける」
調査通り、実に立派な青年だな」
会員制の喫茶室の中、目の前の男が満足気に頷くのを、伊織はどこか他人事のように見つめていた。
…「お父様が伊織様にぜひ、お会いしたいと仰っておいでです。
来週の日曜日の正午に、日比谷の帝国ホテルのティールームにいらして下さい」
父親の顧問弁護士が伊織に面会に訪れ、慇懃だが有無を言わせぬ口調で告げた。
理由も告げぬ一方的な物言いに、伊織は些かむっとした。
しかし、まだ一度も会ったことがない父親に会える欲望には勝てずに、断ることはできなかった。
…父親は当節、高級生地など入手しにくくなったというのに、立派な仕立てのスーツを着込み、恐らくは海外製の葉巻をくゆらせていた。
…貌は…目鼻立ちにやや自分と似通ったところを見出し、伊織は不快に思った。
父親には、全く悪びれる様子もばつの悪そうな様子もなかった。
伊織を、まるで意外な掘り出し物でも見つけたかのような好奇の眼差しで無遠慮に眺めていた。
詫びの一言はおろか、どうしていたかと問うこともない。
伊織は、意を決して口を開いた。
「…あの、何のご用ですか?」
手切れ金代わりの家や生活費、養育費は受け取った。
弁護士は、暗に「これを手にするからには、父親に関わろうとするな」というようなニュアンスを匂わせていたのだ。
ぶっきらぼうな物言いに不機嫌になることもなく、父親は眼を細めた。
「士官学校の理事の一人は私の銀行の顧客でね。君の隠し子は実に優秀だと、密かに伝えにきたのだよ。
首席で入学し、成績も一番だと。士官学校始まって以来の秀才に加え、武術にも長けた逸材だと。
…そこでお前の身上書を見たのだ。
実に立派な成績だ。体格も容姿も優れ、堂々として老成している。
本当に十六か?
いや、驚いたよ。
まさか菊乃がこんなにも良い子を産んでいたとはな。
…まさに、鳶が鷹を産んだのだな」
自分の言葉にさも可笑しそうに笑う。
…何がおかしいんだ。
亡くなった母親を馬鹿にされ、伊織は眉を寄せ父親を見据えた。
父親は、やや居心地が悪そうに居住まいを直し、伊織の機嫌を取るかのように、笑いかけた。
「…伊織と言ったな。
お前を我が家に引き取ってやろうと思っているのだよ。
今すぐ、士官学校には退学届を出して寄宿舎を引き払いなさい。早い方がいい。直ぐに手伝いの下僕を差し向ける」