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いつかの春に君と 〜 番外編 アンソロジー集〜
第1章 三日月夜にワルツを
…その日がきっかけで、伊織と和葉は頻繁に言葉を交わすようになった。
もっとも、話しかけるのは和葉の方だ。
伊織にその勇気は、まだない。

「伊織、隣座っていい?」
昼食のテーブルで声をかけられる。
…いつのまにか名前呼びになっていた。
でも…。
悪い気はしない。
「…いいけど…」
士官学校は食事の形式は比較的自由だ。
席は決まっていないし、お喋りしながらの食事も許可されている。

「勉学と教練の時には集中し、余暇は自由に。
緩急つけた学習は脳に効率的なのである」
戦前に欧米の士官学校を視察したことがある井ノ上校長はメソッドに欧米式を取り入れていた。
欧米との戦争が始まりそうな昨今でも、その姿勢は揺るがない。

食堂は欧州の聖堂のように広い。
恐ろしく長大なテーブルで先に食事を始めていた伊織を見つけ、和葉はさっさと隣に座った。
「さっきの射撃の教練、悔しいな。伊織にまた負けた」
和葉は言葉通り、むくれながらフランスパンを引きちぎる。
…温和に見えて、和葉は意外に負けず嫌いだ。
でも、不機嫌な和葉はなんだか可愛い。
…そんなこと、絶対口には出さないけれど、密かに思う。
「俺の方が体重があるからな。銃を撃つ時、ぶれないんだ。篠宮は、背はあるけれどほっそりしているから…」
「悔しい。僕も伊織みたいな筋肉質になりたい」
ふくれっ面のまま、銀のスプーンでボルシチを掬って口に運ぶ。
和葉の薄紅色の唇が、ボルシチのスープの赤色に染まり艶が増すのを、伊織はいけないものを見たかのように眼を逸らした。

行儀の良い和葉はナプキンを口に当て、ちらりと伊織を見上げた。
「あとさ…」
「うん?」
「いつまで苗字で呼ぶの?そろそろ名前で呼んでよ。僕は呼んでいるのに不公平だよ」
口に入れたボルシチが噎せそうになり、慌てて水を飲む。
「…だって…」
「だって…何?」
癖なのか、和葉は人の貌を覗き込もうとする時に、かなり接近する。
和葉のきめ細かな白い肌や、人形のように整った…分けてもその琥珀色の澄んだ瞳が近距離で伊織を見つめ、心臓が音を立てる。

…何を俺はどきまぎしているんだ。
和葉は男じゃないか…!
だからつい、ぶっきらぼうに答えてしまう。
「…そんなに親しくないだろう…まだ…」

その答えを聞いた和葉は、不意に頬杖をつきわざとらしくため息を吐いた。

「…傷ついた…すごおく傷ついた…!」


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