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セイドレイ【完結】
第50章 セイドレイ

今日、楓は取材ノートを用意していた。
この3日間、これまで事件に関して独自に調査してきたことや、亜美に聞きたいことをまとめていたのだ。
しかし、楓は鞄からノートを取り出そうとはしなかった。
何故か、亜美の前ではそんなことが無意味に感じられたのだ。
考えるのでは無く、感じるままに。
「...じゃあまず、あの...今日は本当にありがとう。私から無理を言ってお願いしておいてこんなことを言うのもアレなんだけど...どうして私の取材を受ける気になってくれたのかな...?」
「あ...えーと...実は私、楓さんの書かれた本を読んだことがあって...」
「えっ...?えええええ??!嘘...本当に?」
「は、はい...。ずっと地下室に居た時、色んな本を読んだんですけど。いつも本を借りて来てくれる...菅原さんっていう人が...あ、ご存知です?」
「う、うん...ニュースで報道されてることしか知らないけど。産科医の男よね?事件発覚の時に放火して、そのまま死亡したっていう...」
「そうです。その...菅原さんが借りてくれた本の中に、『赤ちゃんの値段』と、『春売る女達』...あと、『娘という偶像』の3冊だけなんですけど...」
菅原にもいくつかの容疑がかけられていたが、容疑者死亡のまま書類送検されている。
つまり亜美にとっては他の男達と同じく、恨むべき対象のはず。
「(そんな男が...本を借りて来てくれる、ですって...?)」
事実は小説よりも奇なり、今更ながらそんな常套句が楓の頭の中に浮かぶ。
ノンフィクション作家として最も気をつけていることは、『事実をありのまま伝える』こと。
必要以上にドラマティックにしてしまうことは一番してはいけないことだと、これまでも肝に銘じてきた。それは言わば、楓の矜恃のようなものだ。
傷を負った女性達は皆、一人ひとり壮絶なドラマを抱えている。
しかし、ほんの少しでもそこを『飾って』しまった途端、それは読み物としては秀逸なのかもしれないが、文章に卑しさが滲み出てしまうものだと、楓は思っていた。
しかし、初っ端からこれである。
当たり前のことだが、報道されていることはあくまで表層の一部に過ぎない。
単純に誰が悪い、悪くないという問題では無いであろうことも重々承知している。
「(私は彼女の中に...ドラマを見てしまうのかしら)」
この3日間、これまで事件に関して独自に調査してきたことや、亜美に聞きたいことをまとめていたのだ。
しかし、楓は鞄からノートを取り出そうとはしなかった。
何故か、亜美の前ではそんなことが無意味に感じられたのだ。
考えるのでは無く、感じるままに。
「...じゃあまず、あの...今日は本当にありがとう。私から無理を言ってお願いしておいてこんなことを言うのもアレなんだけど...どうして私の取材を受ける気になってくれたのかな...?」
「あ...えーと...実は私、楓さんの書かれた本を読んだことがあって...」
「えっ...?えええええ??!嘘...本当に?」
「は、はい...。ずっと地下室に居た時、色んな本を読んだんですけど。いつも本を借りて来てくれる...菅原さんっていう人が...あ、ご存知です?」
「う、うん...ニュースで報道されてることしか知らないけど。産科医の男よね?事件発覚の時に放火して、そのまま死亡したっていう...」
「そうです。その...菅原さんが借りてくれた本の中に、『赤ちゃんの値段』と、『春売る女達』...あと、『娘という偶像』の3冊だけなんですけど...」
菅原にもいくつかの容疑がかけられていたが、容疑者死亡のまま書類送検されている。
つまり亜美にとっては他の男達と同じく、恨むべき対象のはず。
「(そんな男が...本を借りて来てくれる、ですって...?)」
事実は小説よりも奇なり、今更ながらそんな常套句が楓の頭の中に浮かぶ。
ノンフィクション作家として最も気をつけていることは、『事実をありのまま伝える』こと。
必要以上にドラマティックにしてしまうことは一番してはいけないことだと、これまでも肝に銘じてきた。それは言わば、楓の矜恃のようなものだ。
傷を負った女性達は皆、一人ひとり壮絶なドラマを抱えている。
しかし、ほんの少しでもそこを『飾って』しまった途端、それは読み物としては秀逸なのかもしれないが、文章に卑しさが滲み出てしまうものだと、楓は思っていた。
しかし、初っ端からこれである。
当たり前のことだが、報道されていることはあくまで表層の一部に過ぎない。
単純に誰が悪い、悪くないという問題では無いであろうことも重々承知している。
「(私は彼女の中に...ドラマを見てしまうのかしら)」

