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せめて、今夜だけ…
第8章 甘い痛み
仕事を終え、帰路に付く社員を見ながら、俺はぼんやりと考えていた。
俺の脳裏を過った嫌な考え。

今更、魚月の婚約者に興味はない。
大企業だということはわかったが、そんな事はどうでも良かった。

ただ、ここに来れば…




魚月に会えるかも知れないと思った。









俺はバカだな。
わざわざ魚月の婚約者の事を調べて、桐谷に会社の場所まで聞いて、家からは真逆の街まで来て、会社の前まで来て…。

本当にバカだな…。

いくら婚約者とは言え、会社はまだ息子のものでもないのに魚月がここに来るかなんてわからない。
そもそも俺と魚月は恋人でもなければ友人でもない。
俺がここに来たところで何の意味もない。

そんな事、もうとっくにわかってたことなのに、何で俺はそんな低い可能性にすがってるんだ?

暗くなる空、微かに星の光が見える。
その光を見つめながら思った。

俺は魚月の事を想ってるが、魚月は俺の事をどう思っていたんだろうか。
魚月の気持ちなんか聞いたことがないし、魚月に「好き」と言われた覚えもない。
あの夜だって、もしかしたら婚約者の当て付けだったのかも知れない。
魚月にとっては、一晩限りの火遊びだったのかも知れない。

そう思うと、心が一気に冷えて行った。




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