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せめて、今夜だけ…
第8章 甘い痛み
しかし、いきなりここまで来て魚月に迷惑をかけるぐらいなら、口からデマカセを言ってでも上手く切り抜けるしかない。
表は冷静に挨拶をしているが、心の中はガラにもなくビビッている。

「申し遅れましたが、僕はこういう者です」

スーツの内ポケットから俺は自分の名刺を取り出した。
営業で使う名刺だが、いつ、何時、誰に会うかわからないので常に常備はしている。
慣れた手つきで婚約者に名刺を渡すと、婚約者も不思議そうにその名刺を受け取った。

最初は疑うように俺を睨んでいた婚約者だが、俺の名刺に目を通すと…

「あぁっ!Bijouxと言えば、あの有名な海外家具の?」
「はい。そちらで営業をさせて頂いています、魚塚と言います」

俺は市原グループなんて会社は知らなかったが、この男は俺の会社を知っているようだ。
さっきまでの怒りはなくなり、笑顔で俺に話しかけて来る。

「いや~、僕もBijouxさんでいくつか商品を買わせて頂きましたよ~!」
「それはそれは、ありがとうございます」

さすが大企業さん。
あんな高い家具をいくつか購入していたとはな。
会社の名前を聞いて態度を変えるなんて現金な男だ。

「まさか魚月さんにこんな素敵な婚約者がいたなんて、驚きました」


まるで壊れた蓄音器のように、俺の口は勝手にペラペラと言葉を口走っていた。
心にもないような祝福の言葉。

心の中ではそんな事、全く思っていない。






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