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せめて、今夜だけ…
第8章 甘い痛み
「そうですか。残念ですが仕方ありませんね」

持ち帰りの仕事があるなんて真っ赤な嘘だ。
ただ、この男と食事なんて死んでも嫌だ。
魚月の婚約者となんて。

「えぇ、僕も残念です。今度お時間がある時にゆっくりと。市原グループのご子息様のお話をお伺いしたいものです」
「はい、是非とも。魚月も喜びます」



"魚月"。
この男は、人前で堂々と魚月を呼び捨てに出来る権利がある。
そう思うと、自分の立場が物凄く嫌に感じた。

頭が痛い、クラクラする。
今にも吐きそうだ。






その場しのぎの社交辞令と愛想笑いでその場は上手くやり過ごしたが、帰りの電車の中でも、生きた心地がしなかった。
あるのは、虚しさだけ。
鈍器で頭を殴られたかのような鈍い痛みだけ。

何やってんだよ、俺は。

市原の会社に行けば魚月に会えるかも知れないと思った。
だが、市原の会社に行けば、嫌でも魚月の婚約者も目にしてしまうということだ。

魚月に会いたくて会いたくて…、そんな単純な道理にさえ気づかないぐらいに会いたくて…。
魚月に会えるということだけしか頭になかったんだ。

…ま、意図しないところで魚月の婚約者と会話までする羽目になってしまったが。




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