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わがままな氷上の貴公子
第8章  本当の闘い


「悠ちゃん……? 千絵ちゃん……?」
 風呂から戻って来た潤が、突っ立ったままオレ達を見ている。
「お前は、部屋に行ってろ……」
「うん……」
 潤は何度も振り返りながら、階段を上がって行った。
 オレの胸に顔を付けた千絵が、体を震わせている。
 声を殺して、泣いているんだろう。
 千絵がオレに、恋愛感情なんてないのは分かっている。
 大事な大会を控えた、同士。男女で競うわけじゃないから、お互いは敵じゃない。子供の頃から、リンクでは一緒。オレにとっても、親しい女は千絵だけだ。
 でも、何も言ってやれない。
 千絵が、苦しんでるのが分かるから……。
 こんな時に、下手な慰めの言葉なんていらない。
 千絵だってそうだろう。
 何を言われても、不安は消えやしない。
 どんなに上手い選手でも、競技が違っても、オリンピックがかかった大会となれば重圧があるはず。
 オレだってそうだ……。
 大会本番よりも、この時期が本当の闘いなのかもしれない。
 千絵にも、頑張って欲しい。
 心からそう思った。
 でもそれを言葉にすれば、益々つらくなるだろう。
 周囲からの応援は嬉しい。
 「頑張って」、「負けないで」、「絶対オリンピックに出て」。
 嬉しいとは思っても、その言葉が重くのしかかってくる。
 特にフィギュアは、単純に得点が決まるわけじゃない。指先の動き一つで、加点が付いたりもする。
 練習では完璧だから本番にその演技をするのに、少しのミスで転倒する選手も多い。
 毎回練習で転倒していたなら、その演技は回避するはず。
 いつもは出来ていたのに。それは言い訳にもならず、本番の時の滑りで得点がつく。
 結局、速さを競う種目なども同じだろう。たった0.01秒で勝敗が別れることもある。
 部活だが、潤がやっているアイスホッケーだって。ほんの少しのミスで、得点されてしまうかもしれない。
 夏の競技も同じはず。
 頂点を目指すなら、些細なミスが命取りになる。
 オリンピックが賭かっているなら、尚更。
「コーチとね……。色々と、あって……」
 何があったのか、オレからは訊かない。ただ黙って、動かずにいた。
 コーチが悪くないとしても、相性がある。


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