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僕の美しいひと
第4章 真実と嘘
西麻布の兄の屋敷は戦時中の爆撃を免れ、大正初期に建てられた西洋モダニズムの洒落たエッセンスに満ちた重厚な姿を保っていた。
まだ世間は戦後の混乱の中にあると言うのにこの屋敷には、別世界のように着飾った富裕な紳士淑女で溢れていた。
長兄の賢一郎は目端の利く商売人であった。
戦後いち早くGHQの将校相手のバーやレストランを始め、不動産業にも手を伸ばし、大成功を収めていた。
「貴族の名前にしがみついているのはもう古い。
生き残る為には何にでも挑戦してみることだ」
そう言って父親から受け継いだ霞町の屋敷もGHQのサロンとしてあっさりと提供し、その代わり目に見えぬ便宜を図ってもらっていた。
兄は郁未をとても可愛がってくれていた。
戦後、軍隊を退役し精神的に荒れていた郁未を大層心配し、学院を設立する時にはGHQへの口利きだけでなく、資金も提供してくれた。
「お前は商売人には向いていないからな。
学校経営は天職じゃないか。頑張れよ」
そう励ましてくれた。
…今夜も…。
「お母様が心配していたぞ。
お前、全く女っ気がないらしいな。
…綺麗な貌をしてもったいない。もっと女遊びをしろ。
お前ならもてるだろうに」
そう嫌味のない好色な表情で笑った。
兄は艶福家であった。
妻子を大切にしているが、囲っている愛人は何人かいる。
けれど綺麗に遊び、どこからも不満が漏れないようにまめに気を遣っているので、家庭に波風を立てたことがない。
郁未は苦笑いした。
「僕は兄様みたいに器用ではありませんから…。
それに…今は女性にも結婚にも興味がないのです。
…今夜はお母様の貌を立ててまいりましたが…」
賢一郎は鷹揚に郁未の肩を叩いた。
「そう堅苦しくなるな。
…今夜はお前目当ての魅力的なご令嬢が幾人も集まっている。会話やダンスを楽しめば良いのだ。
…さあ、行くぞ」
郁未のホワイトタイを少し直してやりながら、賢一郎は郁未を広間にいざなった。
広間からは優雅な皇帝円舞曲が軽やかに流れてきた。
…昔の…懐かしい記憶が甘く蘇る…。
…元気にされているだろうか…。
妖しくも美しい夜の蝶のような…かのひとの面影が胸を掠めた。
郁未は、ふっと微笑んで記憶を胸の奥底に閉じ込め、賢一郎とともに、広間へと足を踏み入れた。
まだ世間は戦後の混乱の中にあると言うのにこの屋敷には、別世界のように着飾った富裕な紳士淑女で溢れていた。
長兄の賢一郎は目端の利く商売人であった。
戦後いち早くGHQの将校相手のバーやレストランを始め、不動産業にも手を伸ばし、大成功を収めていた。
「貴族の名前にしがみついているのはもう古い。
生き残る為には何にでも挑戦してみることだ」
そう言って父親から受け継いだ霞町の屋敷もGHQのサロンとしてあっさりと提供し、その代わり目に見えぬ便宜を図ってもらっていた。
兄は郁未をとても可愛がってくれていた。
戦後、軍隊を退役し精神的に荒れていた郁未を大層心配し、学院を設立する時にはGHQへの口利きだけでなく、資金も提供してくれた。
「お前は商売人には向いていないからな。
学校経営は天職じゃないか。頑張れよ」
そう励ましてくれた。
…今夜も…。
「お母様が心配していたぞ。
お前、全く女っ気がないらしいな。
…綺麗な貌をしてもったいない。もっと女遊びをしろ。
お前ならもてるだろうに」
そう嫌味のない好色な表情で笑った。
兄は艶福家であった。
妻子を大切にしているが、囲っている愛人は何人かいる。
けれど綺麗に遊び、どこからも不満が漏れないようにまめに気を遣っているので、家庭に波風を立てたことがない。
郁未は苦笑いした。
「僕は兄様みたいに器用ではありませんから…。
それに…今は女性にも結婚にも興味がないのです。
…今夜はお母様の貌を立ててまいりましたが…」
賢一郎は鷹揚に郁未の肩を叩いた。
「そう堅苦しくなるな。
…今夜はお前目当ての魅力的なご令嬢が幾人も集まっている。会話やダンスを楽しめば良いのだ。
…さあ、行くぞ」
郁未のホワイトタイを少し直してやりながら、賢一郎は郁未を広間にいざなった。
広間からは優雅な皇帝円舞曲が軽やかに流れてきた。
…昔の…懐かしい記憶が甘く蘇る…。
…元気にされているだろうか…。
妖しくも美しい夜の蝶のような…かのひとの面影が胸を掠めた。
郁未は、ふっと微笑んで記憶を胸の奥底に閉じ込め、賢一郎とともに、広間へと足を踏み入れた。