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虜 ~秘密の執事~
第1章  

許嫁の黒澤から旅行のお誘いを受けた時でさえ、あの整った顔は一ミリたりとも歪まなかった。

それどころか二・三日なら泊りに行ってもいいとの許可まで出した。

「……榊の、バカ……」

椿はそう呟くと、今度こそ本当に夢の世界へ旅立った。




榊(さかき) 真澄(ますみ)。

すっと通った鼻筋に、卵の様な美しい顎のライン。

涼しげな目元の冷たく見られそうな整った顔に、少し肉感的な唇が色気をプラスさせている。

そう、椿が十歳の時に初めて見惚れた男――それが榊だった。



まだ子供だった椿は専任執事についた榊に気に入られようと、必死に勉強や習い事を頑張った。

そうすれば良い成績を収めた時に、榊があの大きな掌でよしよしと撫でてくれたからだ。

まだ小学生だった椿は「将来は絶対に榊のお嫁さんになるの!」と豪語していた。

しかし、夢を見ていられるのはその時までだった。

椿が中学に上がる直前、安曇グループは本業の書籍電子化等による痛手や、多角経営の付けがまわり急激に業績が傾いた。

業界一位だった安曇グループはあわや倒産と叫ばれたが、そこに救いの手を差し伸べたのが許嫁の黒澤の父親だった。

黒澤の家は典型的なIT企業だった。

歴史ある安曇を買収することにより、出版分野の強化を図ったのだ。

かくして安曇は倒産をまのがれたのだが、その犠牲になったのが一人娘の椿だった。

黒澤の次男は椿の一学年上で、同じ学校に通っていた。

そして椿に一目ぼれした黒澤は、父に椿との縁談を迫ったのだ。

安曇側に拒否権があるはずがない。

椿は十三歳の時、強引に黒澤と婚約させられた。

(まあ、そのおかげでこんな贅沢な暮らしをさせて貰っているんだけれどね……)

きっかり三十分後に叩き起こされた椿は、肩を竦めながら部屋中を見渡す。

調度は臙脂(えんじ)色を基調としたアンティークで整えられ、私室だけで普通の一般家庭以上の広さを与えられ、数人の使用人にかしずかれているのだ。

文句を言ったら罰が当たるだろう。

「なんですか? お嬢様、また間違えていらっしゃいますよ」

黒澤が突然訪問するまで解いていた生物の問題集を見直していた榊が、困ったようにそう言う。

「むう……わざとだもの」

椿はそう唸ると、また問題集と格闘し始める。
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