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星逢いの灯台守
第2章 忘れ得ぬひと
…「…幸せやもん…」
母親の声が、脳裏に響いた。
縁先に、ぽつりと水滴が落ちた。

…おかしいな…。泣いてるわけ、ないのにな…。
涙を拭おうとすると、片岡が黙って白いハンカチを差し出した。
…初めて会った時と同じだ。
けれど今日は、泣くなとは言わなかった。

ハンカチを受け取り、眼鏡を外してごしごしと拭く。
「…すみません…」
片岡は母親の遺影をゆっくりと振り返った。
「お前のお袋さんは幸せだったな。
こんないい息子に恵まれて…。
お前は親孝行をしたな」
相変わらずの淡々とした声だ。
けれど、どこまでも心の隙間に染み入る声だった。

「…違います。
だって僕は…」
…母親を…あの小さな海の町を、捨てた。
あの息が詰まるような寂れた田舎の町…自分の出自を誰もが知っているあの町が…そして、常に不幸な匂いのする日陰の花のような母親が疎ましかったのだ。
だから東大に受かり、喜んでいた母親を見るのが後ろめたかった。
…自分は、母親から更に離れたところに行こうとしているのに…。

母親とフレンチレストランで食事をしたあと、山下公園を歩いた。
母親は停泊している氷川丸に目を丸くして、歓声を上げた。
「…わあ…。うちとこの港と全然違うねえ…。
ああ、大きな船やねえ。これが有名な氷川丸なんやね。
…あの沖に停まっとるおっきなビルみたいな船は何?」
手摺りから身を乗り出して、子どものように夜の海を見つめた。

…沖合いには巨大な外国の豪華客船がゆったりと停泊していた。
窓明かりがきらきらと、まるで宇宙船のように煌めいていた。

「外国の豪華客船だよ。よくテレビで見るようなやつ…。
あれは…クイーンエリザベス号だな。
…世界中を航海するんだよ」

「…へえ…世界中…」
夢見るように長い睫毛を瞬かせる。
そうして、潮風に弄ばれる髪を抑えながら、ぽつりと呟いた。
「…真紘。…あんたはどこに行ってもええんよ」
「…え?」
驚きに目を見張る。

母親は唄うように続けた。
「…好きなとこに行って、好きなように生きて、好きなひとと一緒になるんよ」
「…母さん…」

母親は振り返り、無垢な少女のように微笑った。
「…自由に生きて、幸せになるんよ…。
…真紘…」
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