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星逢いの灯台守
第3章 空蝉のひと
それは宮緒の胸を清かな漣のように騒めかせた。
「これがひぐらしですか…。
初めて聴きました」
釣られて宮緒も口元に笑みを浮かべた。
「最近は余り聴かれなくなったかな…。
…この辺りでは今時分、毎日耳にしますよ」
女はしっとりと水分を含んだ眼差しで、宮緒を見つめた。
「この町の方ですか?」
宮緒は首を振る。
「…かつては…。
けれど十二歳でここを離れました。
今は仕事の関係で上海に住んでいます」
「…そうですか。上海…」
女は長く濃い睫毛を瞬いた。
…綺麗な瞳だな…。
思わず見入ってしまう。

「…そういえば上海にひぐらしはいませんね…。
いるのは油蝉だけです。
ひぐらしは日本だけの蝉なのかな…」

…ひぐらしか…。
子どもの頃の夏を思い出す。
絵日記に書くことがないとべそを掻いた宮緒に、母が浴衣を着させてくれて、町の夏祭りに連れて行ってくれた。
宵闇に紛れて、縁日をそぞろ歩いた。
母が賑やかな場所に連れて行ってくれることは稀で、宮緒は嬉しくてはしゃいでいた。
…「母さん、お店たくさんあるね!」
声を弾ませた宮緒を母は嬉しそうに見下ろし、そっと笑いかけた。
「…何が欲しいん?何でも買うたるよ」
陽気に笑う母の白い手をぎゅっと握りしめた。
「じゃあ、綿あめ!あとりんご飴!あと金魚すくいしたい!」
「ええよ。たくさんすくってお庭の池で飼おうなあ」
「うん!」
嬉しくて嬉しくて身体がふわふわと浮かび上がりそうになった…。

あの日もひぐらしは鳴いていた…。
終わりゆく夏を惜しむかのように…密やかに…優しく…。

…そうか…。母はもういないのか…。

ふと、眼の前の女の白く美しい貌に母の面影が重なる。
あの日の母の浴衣も女郎花模様だったのではないか…。

…馬鹿な…。
母はこんなにも美しく上品に臈丈けてはいなかった。
…田舎の少しばかり美しい地味な女だった筈だ…。
着物だって、こんなに洗練されたものではなかった。

「…あの…」
宮緒の強い眼差しを不思議そうに見返していた女からそっと視線を外す。

「…すみません。何でもありません。
…少し…母を思い出して…」



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