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第3章 誘い
 瞼の裏に、シルエットが浮かびました。

 それは脚。

 さきほど見つめていた女性の緩んだ股下……。

 目に、心に、本能に焼き付いていた色気が、蓋をして閉じ込めたはずの欲情を駆り立てました。

 この時色んな思いが頭を巡りましたが、何もかも一瞬で過ぎ去っていきました。

 会社で上司に怒鳴られる私。

 部下を怒鳴りつける私。
 
 大した売り上げにも繋がらない取引先に媚びる私。

 頭を下げ、頭を下げさせ、ゴマすりに勤しみ、日々重圧の板挟みに苦しむ私。

 それを尻目に、悠々としているお偉い面々。私はあと何年胃を痛めれば、上の連中の仲間入りを果たせるのだろう。

 眠っている女をチラッと見て、誘惑を断ち切る思いで再び眼をつぶります。

 しかし瞼の裏に浮かぶのはウンザリした日常の連続でした。

 家に居ても同じだ。一所懸命働いた金で建てたマイホームなのに、まるで居場所がない。「お帰りなさい」の一言に温もりがなく、私の心は冷えたまま。

 テーブルにポツンと載せられた作り置きの晩飯には吹雪が吹いていて、それを一人ついばむ寂しさ。

 私が何を求めているのか、その気持ちを察して欲しい。帰る家があっても、家族が迎えてくれなければ宿無しと同じだ。

 会社、家庭……それらが一つの鉄球と化して私にのし掛かり、一息もつけない抑え込まれた日常生活に悲鳴を上げているのです。

 私には休息が……束の間の癒しが必要なのでした。

 夢のようなひと時が、一瞬でも現実を忘れさせてくれる時間が今ここに……。


 気づくと目を開けていた私は、横目で女性の様子を窺いました。

 ……寝てる……寝ているんだ。

 腕時計で時間を確認すると、あと十分ほどで降りる駅に着いてしまう。

 その事実が、限られた時間が私を突き動かしました。 
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