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ペリドット
第1章 台風9号が直撃する夜。
「良かった。うふふ……実は今日、主人が出張で帰って来ないのに、二人分作っちゃったんですよ。こんな日に限って腕に縒りを掛けちゃって、折角作ったのに独りで食べるのは勿体無いなぁって思ってたんですよ。そしたら、橘さんが帰って来たから……」
「えーっと、あの、じゃぁ、今は旦那さんはいらっしゃらないんですか?」
「ええ、帰って来るのは明日の夜になると思います」
 日頃から付き合いのある間柄であれば、然程不自然な事では無いと思うのだが、現状までの僕とお隣さんとの間柄で、このお誘いは若干の違和感を感じずにはいられなかった。
 穏やかでお人好しそうな、この奥さんから全く悪意は感じられないが、引っ越して来た日に一度だけ挨拶を交わした男を、いきなり夕食に誘うことなんて、しかも旦那不在の時に、それは僕の常識では有り得ない事だと思えたのだ。
 しかし、無碍に断るのは、少し可哀想にも思えてくる。それに、独身で彼女もいない僕が、隣りの綺麗な人妻に、旦那不在の家中に誘われているのだ、よくよく考えてみると、断る理由なんて何一つ見当たらなかった。

「――じゃぁ、取り敢えず、着替えてから伺いますね」
「はい、では、お待ちしております」
 微塵も毒気のない笑みを浮かべて、彼女は僕の前から去って行った。
 色々と、妄想が駆け巡るが、深く追求する事は避ける事にした。
 下手に色気づいて無駄にご近所付きあいを拗らせるのは良く無いと、それくらいの分別は付く。
 それに、要するにこれは色気より食い気というやつで、こうしてたまにお裾分けとかお呼ばれとかで温かい食事にありつけると言うのは、独身男性にとって、何物にも代え難いイベントなのだ。
 どちらにしても、僕的には良い話だと、上機嫌になり意気揚々と部屋に戻って着替える事にした……。
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