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異邦人の庭 〜secret garden〜
第8章 ガブリエルの秘密の庭
「…紗耶がいないと、この家は静かだね…」
夫の政彦が、朝食の薄いトーストに丁寧にバターを塗りながら、やや寂しげに呟いた。

向かいの席に座る紫織はハロッズのマーマレードの皿を政彦の前に勧めながら、小さく微笑んだ。
「…ええ…。そうですわね…。
紗耶ちゃんがいないと本当に…」
…それ以上言葉を繋ぐと、テーブルが更に寂寥感に満ちそうで紫織は口を噤んだ。

テーブルの上の花器に飾られた薔薇はコーネリアだ。
…紗耶の部屋の窓辺に這わせていた薔薇を、今朝方摘んで飾ってみた。
あの可憐で清潔な娘に相応しいと、気難しく獅子のように獰猛と恐れられている徳子がそう評してくれたらしいのだ。

…紗耶ちゃんは、大お祖母様とも上手くやっているかしら…。
心配が胸を掠める。

「…紗耶は大人しかったけれど、いつもにこにこ僕たちの話を聞いてくれたね。
あの子は聞き上手で、本当にその場の空気を和ませてくれる存在だったな…」
しみじみと語る政彦は、子煩悩な父親そのものだ。
紗耶を眼の中に入れても痛くないほどに可愛がっていた政彦にとって紗耶がこの家を去った今、とても落胆しているのが手に取るように分かる。

…そう、政彦は企業戦士の代表のような仕事の虫ではあるが、忙しい毎日の中でも家族のためには出来るだけ時間を割き、心を配り接してくれる優しい父親であり、優しい夫だ。

政彦は自分にも紗耶にも声を荒げたことなど一度もないし、常に紳士的な話し方で、優しく、寛大に接してくれる。
紫織の要望や希望を拒んだことなど一度もない。
経済的にも精神的にも紫織の希望はすべて叶えてきてくれた。

…そう…。

紫織は、眼の前の夫を見つめる。

…銀座の英国屋で誂えたスーツやワイシャツ、ネクタイに身を包んだ身なりと身だしなみの良い夫…。
ロイヤルコペンハーゲンの皿に載せられたベーコンエッグを切り分けるナイフとフォークの所作もとても丁寧で、テーブルマナーのお手本のようだ。

薄い銀縁の眼鏡をかけた貌立ちも品良く、決して悪くない。
…むしろ、美男子に入る部類なのだろう。
180センチはある長身で、学生時代から続けているテニスを週に一度、友人たちと楽しむ夫の身体には、中年特有の贅肉も全く付いてはいない。

…そう…。

紫織は淡々と無感情に思う。

…このひとは、完璧な夫であり父親なのだ…。



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