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第1章 アンジェラの初戀

…良かった…。
誰もいない。

紗耶は周りを見渡して安堵のため息を吐いた。
紗耶が忍び込んだ薔薇園の向こう…高遠本家の広大なイングリッシュガーデンには、紗耶と同年代の少年少女たちの賑やかな笑い声が弾けている。
…子どもたちのティーパーティが始まったのだろう。

その声にきゅっと胸を竦めながら、紗耶は抱きかかえていた大好きなテディベアのアリスを蔓薔薇のアーチのそば…素朴なウッドチェアーに座らせた。
ローラ・アシュレイの小花柄の水色のドレスは、紗耶とお揃いだ。
母の紫織が誕生日に特別オーダーしてくれたのだ。
アリスのスカートの裾を綺麗に直してやりながら、紗耶はにこにこと話しかける。

「アリス。良かったわね。ここなら誰もいないわ。
ここで紗耶とお茶会をしましょう。
お茶とスコーン、クッキーもあるのよ」

籐のバスケットから真っ白なリネンを取り出して芝生に敷く。
その上におままごとのティーセットをきちんと並べる。
お皿の上に乗せるスコーンとクッキーは本物だ。

家政婦のテルさんが
「…お嬢様はきっと、あちらでは緊張なさって召し上がれないでしょうから、これをどうぞ。
大丈夫ですよ。さっとすり替えたら分かりゃしませんよ」
と目配せして渡してくれたのだ。

…テルさん、ごめんなさい。
私、やっぱりお茶会の中に入れなかった。

…でも…
「アリスと一緒に食べるから、許してくれるわよね？」
テディベアのアリスに話しかけ、丁寧にお茶を注ぐ。

ティーセットは19世紀初頭のウェッジウッド社のアンティークだ。
子どものおもちゃでも安物を嫌う紫織が買い揃えたものだ。

…本当はほかの女の子が持つリカちゃんハウスやシルバニアファミリーにあるような玩具が欲しかったが、口には出せなかった。
寡黙で物静かで…何より母を信奉している父は、母がすることすべてにもちろん口を挟まない。

…お母様は、誰よりも正しいのだもの…。

…だから、あんなにも綺麗なんだもの…。

紗耶は、一緒に来た母の優美な花のような美貌や、英国の貴婦人のようなクラシカルな白い丈の長いアフタヌーンドレスを思い浮かべ、ほうっとため息を吐く。

…紗耶はこの春、六歳になった。
星南女学院の初等科に上がったばかりだが、母親の紫織が並外れた…見るひとの眼を釘付けにせずにはいられないほどの美女だということは、幼心にもわかっていた。