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異邦人の庭 〜secret garden〜
第16章 異邦人の庭 〜secret rose garden〜
遠ざかる夫の頼もしい背中を見つめ、紫織はそっと囁いた。
「…政彦さんはすべてご存知よ」

「僕が貴女に恋をしていること?
…そうですね。政彦兄さんは賢いひとだ。
ひとの気持ちも慮ることにも長けている」
千晴が鳶色の瞳を細め、紫織の風に靡く艶やかな黒髪に手を伸ばす。

それをやんわりと制止ながら
「政彦さんはお優しい方なのよ。
だから貴方を咎めたり、なさらないのだわ」
軽く睨むふりをする。

千晴は小さく笑う。
「…そう。政彦兄さんは優しい。
優しいし包容力がある。
貴女は幸せだね。
…だから僕は政彦兄さんから貴女を奪うことを辞めたんだ。
貴女にはきらきら輝く幸せが良く似合うからね…」
「よく仰るわ。
…貴方が紗耶ちゃんに恋をしたから…でしょう」
「それはもちろん。
けれど僕は紫織さんと紗耶ちゃん、二人に恋をしたんだ。
僕にとって紫織さんは紗耶ちゃんで、紗耶ちゃんは紫織さんだった…」

唄うように告げる千晴は、夢見るような眼差しをした。
初夏の鮮やかな陽の光に透けて、その瞳は幻想的な宝石のようだ。

…このひとには、生身の恋は必要ないのかもしれないと、紫織はふと思った。
千晴には、この絵画のように美しく優雅でどこか退廃的な…そしてどこまでも閉ざされた庭があればそれで良いのかもしれない。

…孤独なひと…。
…けれど
…愛おしいひと…。

紫織は皺一つないクロスの上に置かれた千晴の大きく美しい手に、そっと白い手を重ねた。

「…困った方ね…」
言葉とは裏腹に、その手を優しく握りしめる。
「…でも、私で良ければ、貴方のそばにずっといるわ…」
…恋人でも、妻でも、友人でもないけれど…。
何とも名付けられない関係がこの世にあっても、それはそれで良いのではないか…。

「…紫織さん…」
千晴はその手を取り、子どもが母親に甘えるように頰に押し当てた。
「…ありがとう…」

そうして、しみじみと愛おしみの色の声で尋ねた。
「…紗耶ちゃんは、彼に逢えたかな…」

…さあ…
と、紫織は遠くの薔薇園を見遣る。
六月の薔薇は、甘く切ない恋の薫りをふわりと運ぶ。

…コーネリアの花が、優しく揺れていた。

…でも…

異国の愛する娘に微笑みかけるように囁いた。

「…きっと、逢えるわよ…。
それが運命の恋ならば…」
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