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M嬢のいる風景
第7章 棄民考
私が、身勝手に規定した「棄民」=「認知されない民」は、大衆の中にあって、大衆と共に過ごしながら、常に奇妙な浮遊感を感じる者たちとなる。
具体的に言うと、人生を「サブ」の思考、価値観、視点、感覚、感情で生きている者の事を言う。
「メイン」の思考、価値観、視点、感覚、感情は、あまりに大衆のそれとかけ離れていて、決して、他者に開示してはならないと直感している者たちを言う。
もし、自己顕示欲があるならば「私は貴方達とは、こんなに違うのよ」と、「メイン」をひけらかす事も出来るだろう。
だが、私の規定する棄民は、その手の自己顕示欲を持たない者を言う。
だから、大衆は、その棄民の「サブ」を「メイン」として誤認知する。
棄民側は、その誤認知に安堵し、同時に寂寥と、浮遊感を感じる。
きっと、多くの大衆は、そんな事をせずに自分を曝け出したら楽になるのに、と言うだろう。
だが、棄民の「サブ」と「メイン」との距離は、大体の場合は大衆が想像する範疇を凌駕している。
例えるならば「普通のシマウマの群れの中に、肉食のシマウマが居て、群れから弾き出されない様に、必死に肉食である事を隠している」それくらいものだと思ってもらえると良いだろうか。
実は、私は、そんな棄民を、稀に見つける事がある。
私が棄民を見つけられるのは、棄民の存在を認知しているからである。
だから、とても注意して見ていたら、棄民の醸し出す「揺らぎ」=「浮遊感」を見つける事ができる。
では、棄民を見つけたとして、その後どうするかというと、大体は「ああ、居たのだね」と呟いて、それで終わりである。何もしない。後も追わない。
ただ、例外はある。その棄民がマゾヒズムに染まる可能性が高いと判断した時である。
念をおすが、マゾヒストではなく、マゾヒストになる可能性が高い、である。
そんな棄民を見つけた時には、老若男女を問わずに、声をかけ、我が手許に引き寄せ、マゾヒズムに染めていく。
マゾヒストとして覚醒した暁には、彼または彼女の「メイン」の部分を私に晒す様に命じる。
マゾヒストに落ちた棄民が、嘆き、苦しみ、恥じ入りながらも、私の前に自分の「メイン」を晒さざるを得ない、という光景を私は楽しみたいのである。