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黒い瞳
第3章 淳子~6歳~
淳子には、友達がいなかった。
母と共に移り住んだ古い文化住宅は、
その建物と同じように老朽化した人々が住みついていた。
生活は豊かでなく、
淳子は保育園にも幼稚園にも通わせてもらえなかった。
淳子の遊び相手は、
空き地で拾ってきたレンガの破片だった。
淳子は、そのレンガの破片をチョークがわりに、
アスファルトの路面に花や木や犬や猫を書いて遊んだ。
普通の幼稚園児のように、
家族を描くことはなかった。
そもそも、家族という意味がわからなかった。
いつも、母と自分だけの世界。
そこには、家族団らんもなければ、笑顔のあふれる食卓もなかった。
やがて、母は夜の勤めにでるようになった。
パートよりも、実入りのよさと、
元来、華やかな世界を好む母であったのだ。
早めの夕食を親子で済ませ、
暗くなった部屋で母の帰りを待つような生活が始まった。
未明の3時ごろに帰宅する母は、
いつもアルコールとタバコの臭いがした。
下着が見えるのではないかというような、
短い丈のワンピースを脱ぎ捨て、
コップの水をゴクゴク飲み、
大雑把に化粧を落とすと、
雪崩れ込むように淳子の布団に潜り込み
「ごめんね」と言いながら抱きしめて眠るのだった。
淳子は、母に抱きしめられるこの瞬間が、
なによりも嬉しくて
眠い眼を擦りながら母の帰りを待っていた。
夜の勤めに出て、ふた月ほどたったある日、
待てども母は帰って来なかった。
いつしか、空は明るくなり始め、朝を迎えた。
明るくなった室内で、
淳子は物心がついてから初めて泣いた。