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シャイニーストッキング
第4章 黒いストッキングの女3 ゆうじ
72 慟哭 ④
もしかしたらゆうじには、この悲劇の未来が分かっていたのかもしれない。
そしてノリくんだけではなかった。
ゆうじと共に歩んだ約2年半の間で知り合い、関わったアメリカのブランドの社長のジム夫妻や、商社の斉藤さん、そして仲良くなれたサーフィンカメラマンの木本さん、その他大勢の沢山の人達からも励まされたのだ。
だが、私にはまだその時点では現実からも、悲しみからも全く立ち直れなく、心を壊したままでとてもそれらの皆様の前には出ることはできず、どうにもならなかったのである。
そして震災から約半年後、ノリくんから決定的なメールを貰った。
『焼け跡からゆうじさんの歯が出ました』
まだ探してくれていたのか…
まずそのことに感謝したのだが、次に想い浮かんだことが
いったい私はこの半年間何をしていたのだろう…
という絶望的な自虐の想いであった。
ノリくんのように探すこともせず、他の皆さんのように立ち直り、前向きに歩いている訳でもない、ただヒステリックに泣き叫び、嘆き、絶望しているだけではないのか…
自ら絶って後を追う事もできず、前を向いて生きようとしている訳でもない、ただただ漠然と生きているだけのまるで生きる屍ではないのか…
湧き起こる想いは絶望だけであった。
『ゆうじさんの遺産は俺が守っていきます…』
あれからずっとノリくんは、止まらずに前を向いて歩き続けている、なのに私はいったい何をしているのだろう…
自虐の想いが止まらなかった。
歯が見つかった…
やはり私の知っているゆうじは生き急いでいたのだろうか。
私はこれからどうやって生きていけばよいのだろうか…
あれからゆうじと共に歩んで生きて行くはずだったのだ、私にとっての生きていく道標であったはずなのだ。
これからどうしたらいいのか…
ゆうじの確実な死を目前にして、再び私の心は壊れてしまった。
『8月1日に葬儀をします』
私は行かなかった、いや、行けなかった。
『茨城の父親方の墓に眠ってもらいます』
私は行けなかった。
『雑誌にゆうじさんの追悼特集が載ります』
私には見ることができなかった。
『茨城の海でゆうじさんの追悼サーフィン大会が開かれます』
私は行けなかった。
生きていく道標を見失ってしまった…
もしかしたらゆうじには、この悲劇の未来が分かっていたのかもしれない。
そしてノリくんだけではなかった。
ゆうじと共に歩んだ約2年半の間で知り合い、関わったアメリカのブランドの社長のジム夫妻や、商社の斉藤さん、そして仲良くなれたサーフィンカメラマンの木本さん、その他大勢の沢山の人達からも励まされたのだ。
だが、私にはまだその時点では現実からも、悲しみからも全く立ち直れなく、心を壊したままでとてもそれらの皆様の前には出ることはできず、どうにもならなかったのである。
そして震災から約半年後、ノリくんから決定的なメールを貰った。
『焼け跡からゆうじさんの歯が出ました』
まだ探してくれていたのか…
まずそのことに感謝したのだが、次に想い浮かんだことが
いったい私はこの半年間何をしていたのだろう…
という絶望的な自虐の想いであった。
ノリくんのように探すこともせず、他の皆さんのように立ち直り、前向きに歩いている訳でもない、ただヒステリックに泣き叫び、嘆き、絶望しているだけではないのか…
自ら絶って後を追う事もできず、前を向いて生きようとしている訳でもない、ただただ漠然と生きているだけのまるで生きる屍ではないのか…
湧き起こる想いは絶望だけであった。
『ゆうじさんの遺産は俺が守っていきます…』
あれからずっとノリくんは、止まらずに前を向いて歩き続けている、なのに私はいったい何をしているのだろう…
自虐の想いが止まらなかった。
歯が見つかった…
やはり私の知っているゆうじは生き急いでいたのだろうか。
私はこれからどうやって生きていけばよいのだろうか…
あれからゆうじと共に歩んで生きて行くはずだったのだ、私にとっての生きていく道標であったはずなのだ。
これからどうしたらいいのか…
ゆうじの確実な死を目前にして、再び私の心は壊れてしまった。
『8月1日に葬儀をします』
私は行かなかった、いや、行けなかった。
『茨城の父親方の墓に眠ってもらいます』
私は行けなかった。
『雑誌にゆうじさんの追悼特集が載ります』
私には見ることができなかった。
『茨城の海でゆうじさんの追悼サーフィン大会が開かれます』
私は行けなかった。
生きていく道標を見失ってしまった…