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爛れる月面
第4章 月は自ら光らない
「全く家事しないのが丸わかりのキッチンだね。冷蔵庫も空っぽなんでしょ、どうせ」
「ビールがある。が、出張中は電源を切ってる。さっき入れたばかりだからぬるい。……その様子だと、僕がいないときにはまったく来ていないみたいだな」
「当たり前じゃん。私ゃ家政婦でもないからね」

 そういえば小皿もない。井上が醤油の封を切って直接寿司の上にかけているのを見て、紅美子もそれに倣うしかなかった。

「なら……、君は何者なんだろうな」

 井上がイカを口に入れながら、質問というよりは独り言のように言った。十二貫はさすがに多く、うなぎからいこうとしていた紅美子は箸を止め、

「……さあ? でも、世間から見たら、モロに愛人なんだろうね。月々のお手当も貰わずに、お寿司食べさせときゃOKなんて安上がりな愛人さんだ」

 と、人ごとのように言って口の中に放り込み、肩を揺らした演技とともに好物を味わう。

 紅美子が嚥下するのを待った井上が、

「手当が欲しいのか?」
「要らない。デリヘル嬢でも家政婦でもないっつってるし」
「じゃ、セックスフレンドじゃないか」
「冗談? あんたと私が友達だなんて、ぜんぜんピンとこない」
「こだわるのはフレンドのほうか」

 可笑しそうに笑ってペットボトルから湯呑みに注ぎ、紅美子のほうへと置く。

「いや、私が直飲みでいい」
「たしかに」紅美子を無視した井上は、飲み口を咥えてお茶を飲み、「君はここにセックスしか、しに来てないな」

 露骨な言い方だったが、井上の言う通りだった。

 マンションには、自分の物は何も置いていない。着替えも、化粧品も、バス用品も。歯ブラシですら、井上がストックしている使い捨ての物だ。「生活」に直結するようなものは、何ひとつ無かった。
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