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爛れる月面
第1章 違う空を見ている
 同じ言葉が徹から向けられる。紅美子は唇を開き、そして閉じた。言葉が出てこなかった。大丈夫ではないことを伝えるには、二十年という歳月はあまりにも重苦しかった。伝えたが最後、夢に見たあの数々の光景が、全て消失してしまうかもしれない。

「……もしもし、クミちゃん?」

 連絡が取れたというのに、引き続き心配する声が聞こえる。

「ごめんね。……ちょっと……光本さんに付き合って、今まで飲んでたから、疲れちゃって……」
 唯一言えるのは、嘘、だけだった。「心配させて、ほんと、ごめん」

 頬と携帯の間に涙が滲み入ってくる。紅美子からはあまり聞いたことのない謝罪と、鼻を啜った音に、

「……泣いてるの? クミちゃん。どうしたの。泣かないで」

 そんなこと、言わないで。
 目頭を抑えても、雫が止まらない。徹はずっと名前を呼び続けている。

「……徹」
「うん?」
「会いたいよ」紅美子は橋の真ん中でしゃがみこんだ。「すごく……会いたい。離れなきゃよかった」
「クミちゃん……」
 声を出して泣かずにはいられなかった。嗚咽が止まらない。「いまから行くよ」

 徹はそう言った。
 そうだ、ここで待っていれば、本当に徹は来てくれる。自分を抱きしめて、どこか幸せな場所に連れ去ろうとしてくれる。

 だが、紅美子の頭に、もう一つの声が聞こえてきた。

 ──どうして、救けに来てくれなかったの?

 それを言いたい衝動が、紅美子を頻りに襲ってきた。
 身が二つに裂けてしまいそうだ。

 やはり、電話をするべきではなかった。

「……ごめんね。変なこと言って」紅美子は震わせながらも声を整え、「大丈夫」
「だって」
「ほんと、大丈夫。会いに行って帰ってきたばっかだから、なんか弱ってたのかも」
「……」
「忘れて、今の。三週間も平気だったのになー。徹がいけないんだ。ずっとくっついてきたから」
「……俺がいけないの?」

 徹が少し、笑った。

「うん。こんなんで会ってたら、一年も持たないから、大丈夫。徹も早く寝て。明日……、もう今日か、仕事でしょ?」
「……クミちゃんもでしょ?」
「うん、そだね。早く帰って寝なきゃ。でも次会ったとき、肌ぼろぼろになってたらごめん」
「それでも大好きだよ」
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