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爛れる月面
第2章 湿りの海
 月曜日の話だ。もうずいぶんと前のことのように思える。

「……なに人のこと冷血女みたいに言ってくれてんの」
 何とか、明るい声を搾り出し、「私だって泣くことくらいあるよ。徹の見てないとこで」
「そうなの?」
「こら。未来の嫁に向かって失礼だな」
「ご、ごめん」

 鈍痛が少し引いた。うまく、乗り切ったと思う。
 その証拠に、もう一服、タバコを吸い込むと、

「……クミちゃん、タバコ、吸ってるの?」
「まさか。職場だよ? ていうか、成果発表って言ってたやつ、あれいつ?」

 徹が勘づいても、スムーズに、話題を切り替えることができた。

「再来週の金曜、だけど……」
「じゃ、その週の土曜日にしよ。ね? あと二週間、我慢できるでしょ?」
「クミちゃんは……、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。平気じゃないけど」タバコをボトルバケツに沈め、「私は我慢できる。言ったじゃん、私ね、徹の仕事の邪魔者にはなりたくないの」
「……うん、わかった」

 盗み聞きをしていた男が、物音を立てずに背後から去っていく。再び正面に座り、瓶に残っていたペリエを、逆さになるほど仰いで飲んでいる。

「じゃ、切るね」
「……うん」

 喉仏を動かして炭酸に顔をしかめ、そろそろ電話が終わるのを、くるぶしを膝に当てて広く脚を組みながら、悠々と待っていた。

「あ、待って。徹」

 紅美子は、前に目を向けたまま、

「好き、って言っていいよ」
「好きだよ、クミちゃん。大好き」
「……よろしい」

 肘掛に身を任せ、髭を爪で掻きながら唇を曲げている。

 まだ、電話は切れていない。
 滅多に紅美子のほうから言うことはないのに、彼は待っていた。
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