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私でよろしいのですか
第1章 私でよろしいのですか
夜の帳が下りた新月の夜。

広大な敷地の中にひっそりと建つ屋敷は、昼の喧騒とはうって変わり、その存在は闇の中に溶け込んでいた。

 ――コンコン――

暗く静まり返る屋敷の奥でハンナは控えめにドアを叩いた。


「入れ」


そっとドアを開けると、正面に置かれた書斎机の向こうにこの屋敷の主人、クラウス・フェルディナントが座っていた。
クラウスは眉間に皺を寄せながら、机一面に広げられた書類を眺めている。

静かに燃える暖炉の火と、主人の手元を照らすランプだけが灯る部屋は、ともすると昼間の明るい日差しが差し込む書斎とは別の場所であるかのように思わせた。


「お茶をお持ちしました」


ハンナの事務的な声にクラウスは目線を変えることなく答える。


「ああ。そこに置いておいてくれ」

「はい」


ハンナは言われた通り、いつものようにクラウスの右手側にティーセットを置く。
温めておいたティーポットに茶葉を入れてお湯を注ぐと、部屋中に紅茶の芳ばしい香りが広がった。


「アールグレイか」

「はい。昨日もあまりお休みになられていないようなので……」

「確かに眠れていないな」


若くして父親から家督を譲られたクラウスは日々領地から上がってくる報告書の確認に追われている。

最近は領地の管理に加えて、大陸での新事業の計画も始めた。
資金集めと顔繋ぎのためと思って気乗りしない社交界にも連日顔を出しているせいか、正直疲れが溜まっている。

二十七歳の伝統ある爵位を持った駆け出しの独身実業家、とくれば事業とは関係ない話も降ってくる。
大陸に渡る覚悟も能力もない貴族の娘になど興味はない。
投資を継続させつつ、縁談を断り続けることにも飽きてきた。

さっさと家督を弟に譲って、新しい土地での事業に専念したい。
領地経営は嫌いではないが、貴族社会には自分は向いていないのだ。

何の保障もないが、余計なしがらみもない世界の方がよほど性分に合っている。
好きなように生きるためにはやらなければならないことは山積みだ。
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