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熱帯夜に溺れる
第3章 熱帯夜に溺れる
 シャワーから溢れるぬるま湯の水流は莉子と純の足元を濡らして流れて、排水溝に吸い込まれた。

「濡れるよ」
「うん」
「離れよう?」
「嫌」

 純が困惑しているのは一目瞭然だった。もしかしたら怒っているのかもしれない。
 借りたTシャツは彼の背中の水気を吸いとってみるみる濡れてゆく。

 純の身体は細身なのに見た目以上にがっしりしていて、35歳の年齢を考えても腰回りに無駄な肉がない。
 莉子はしっとりと湿る彼の肌にすり寄った。純は溜息をついて濡れた髪を乱暴に掻きむしりながら、シャワーの蛇口を閉めた。水音の消えた浴室は静寂に包まれている。

「昔、親父に殴られていた時……身体はアザだらけだった。裸を見られるのが嫌で、人前で着替えることも嫌だった」

 突然語られた辛い過去に、莉子は彼の背中に抱き付いたまま耳を傾けた。

「痛かったよね」
「痛かった……のかも。その頃にはもう親父の身長を越していて力だって俺の方が強かった。抵抗しようと思えばできたのに俺は抵抗しなかった。兄貴が死んだショックをぶつけられる相手が俺しかいなかったんだ。母さんも恨み言を毎日俺に言っていた」

 初めに莉子は悔しい、と思った。
 家族を亡くすのは誰だって悲しい。誰だって辛いだろう。だけどそれで純の心と身体を傷付けていい理由にはならない。誰であっても、純を傷付ける者は許さない。

 身体の傷はいずれ癒えても心の傷は一生消えない。今でも純はこんなにも傷付いている。
 けれど純は哀しげに優しく笑う。きっと両親にも彼は優しいんだ。どんな扱いを受けても彼は親を憎みきれていない。

 悔しくて悲しい。他にも沢山、言い様のない感情が莉子の内側に込み上げて彼女の瞳が湿って濡れた。
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