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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第5章 従者と執事見習い〜従者の恋〜
ふわりと夜間飛行の薫りが狭霧を優しく抱く。

「…旦那様…」
伯爵が狭霧を背後から抱きしめていた。
「…人が来ます…」
素早く腕を解こうとすると、更に抱き竦められる。
「…来ても良いさ…。
君は私にとって特別なひとだ…」

「…旦那様…」
…狡いひとだと、狭霧は思った。
特別などと、曖昧な、それでいて耳障りの良い言葉を使って…。

…けれど、それで良いと狭霧は思った。
この誰よりも美しく優しく気高く華やかで…そして誰よりも孤高な…この男の一番傍にいて、この男の体温と眼差しを感じられるのなら…。

狭霧は男の腕の中でしなやかに身体を返し、瞬きもせずに見上げる。

「…いつか、俺に話してくれ…。
…貴方の心の奥底にいる、そのひとの話を…」

伯爵の黒曜石色の瞳が見開かれた。
「…狭霧…」
「そうしたら、俺はもっと貴方を愛せる…。
愛したいんだ。
俺に貴方を愛させてくれ…。
…もっと、もっと、深く…」
…決して、愛されないことは分かっているから。 
その分、自分がこのひとを愛したいのだ。
誰よりも深く、濃く、熱く。

「…さぎ…」

…男がその名を呼ぶ前に、狭霧はその形の良い口唇に、愛しみだけのキスを与えたのだった。



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