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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第3章 新たなる道の前で
気がつくと、狭霧は重厚かつ優雅なヴィクトリア朝の家具や調度品に囲まれた部屋にいた。
マントルピースの上にはルネ・ラリックの硝子のアール・ヌーヴォー調の工芸品が置かれ、壁にはクリムトの絵が飾られていた。
暖炉の火は赫々と燃え、心地良い暖気に包まれている。

…ここは…何処だ…。

目の前の驚くほどに端麗で高貴な容姿をした紳士は、誰だ…。
一瞬、何もかも分からなくなる。

「…泣きたい時には、泣きなさい。
我慢することはない」
男はゆっくりと、しなやかに狭霧の隣に腰を下ろした。

「…な、泣いてなんか…いない…」
けれど、頬に滴るのは、熱い涙だ。

「…君はひとりでよく頑張った。
まだ二十二歳だ。
異国にたったひとりで、そんな悲しみと苦しみに…よく耐えた。
偉かったね」

その慈愛に満ちた美しい声に、狭霧の張り詰めていた心が一気に緩んでいった。

狭霧は貌を覆い、嗚咽を漏らした。
「…俺の…俺のせいなんだ…。
和彦が死んだのも、さな絵さんが死んだのも、家が破産しそうなのも…。
全部…全部…俺のせいだ…!」

…夜間飛行の芳しい薫りに、ふわりと包まれる。
男…北白川伯爵の長い腕が、狭霧を優しく抱いた。
「…君のせいじゃない。
不幸な偶然が重なってしまったのだ…」

狭霧は激しく首を振る。
「…和彦の母親がいう通りだ…。
俺に…出会わなければ…和彦は死ぬことはなかった…」

伯爵の静かな声が囁かれる。
「彼を死に追いやったのは、君ではない。
…それに…君に出会わなければ、彼はどれだけ虚しく寂しい日々を送っていたことだろう。
短くとも君と輝かしい愛と希望の日々を過ごせたのだ。
彼はとても幸せだった。
私はそう思うよ」

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