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だから先生は頼りない
第2章 爪先
数学の二文字が特別な漢字になったのもたかが一ヶ月前のこと。
針谷の指先から流れるように生まれていく数列すら好きになったのなんて三週間も満たない。
そんな出来立ての不格好な好意が暴走しうるのなんて一番わかってる。
虚しい。
考えたくない。
アホみたいだ。
いや、確定だ。
アホなんだろう。
放課後、覚えた駐車場の針谷の車の位置につい目線が向く。
何もない白線に、どこで会議なんだろうなんて。
ぎゅ、と靴先をずらして門の方に歩き出す。
有我の言葉が離れない未熟な思考が嫌だった。
一人カラオケにでも行って叫んでしまいたい。
針谷先生の響きがずるい。
何度だって呼びたくなってしまう。
どんだけ好きなんだよ。
門を抜けて、緩い坂道に抵抗ある体を押し上げていく。
地面を蹴っていると、情けない精神も鍛えてくれるような期待がのたうつ。
もっと大人で、もっと頭が良くて、もっと近い存在だったらいいのに。
近所の住民なんてリアルな例え出しやがって。
それなら小さい頃からお世話になっただろうし、運が良ければ家に遊びに行っていたかもしれない。
入学した時には、大きくなったねって頭を撫でてもらえたかもしれない。
なんだよ、最高かよ。
その世界。
「子春ー、今帰りなの」
唐突に呼びかけられて急いで顔を引き締めると、買い物袋を提げた母の姿が横断歩道の向こうに見えた。
にこやかに右手をひらひらと胸の前で。
母は、綺麗だ。
小学校の授業参観あたりから確信した。
同年代の女性の中でも品の良さがにじみ出る容姿に優越感を感じてしまうほど。
「荷物持つよ」
小走りで駆け寄って袋を半ば強引に受け取る。
苦く微笑んだ母は、片側に流した黒髪を揺らしてのんびり歩いた。
「テストはまだなの?」
「今日は小テスト。多分通った」
「そう。蜂須賀くん元気?」
「相変わらず」
「お弁当おいしかったかしら」
「ほうれん草の、一番」
「よかった」
詮索するわけじゃない。
あら、そうなのって。
たわいのない質問が心地よかった。
よく喋る方じゃない家系だから、父との会話も静かで穏やかで、ずっと昔からある湖みたいな両親が好きだった。
荒れることはほとんどなかった。
たまに口論しても、どちらかが水門を開いて調節してくれる。
二晩以上喧嘩が続くことはなかった。