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さようならも言わずに~恋は夢のように儚く~
第3章 弐
この〝お民と源治〟シリーズの場合、上巻の〝石榴の月〟は紅梅=春、〝橘〟は橘=夏、〝桜文〟は紅葉や鴨(つ)頭(き)草=秋、〝白粉花〟は冬=氷(こおり)重(がさね)で表現しています。
昔から四季の情緒豊かな日本では、その折々の自然を様々な形(言葉)で表現してきました。その一つがこのかさねいろではないかと私は考えています。当然ながら、各作品はその設定した色目を頭に思い浮かべながら描きました。いわば、作品そのものを色でたとえるなら、そのような色目になるように描いたつもりです。
また、上巻はエモーショナル、いわば情熱的な描写が多かったのに比べて、下巻はそういったものを極力抑えめに描いてみました。
なお、最後に一つだけ。最後の番外編〝白粉花〟の中でお都弥が嘉門に言った言葉、〝自分に起こった不幸の数をかぞえていたら、それこそキリがありませんよ。悪いことより、良いことの方を数えて、明日はまた一つ良いことが増えれば良いなと仏さまにお願いするんです。そうやって一日、一日、大切に生きてゆけば、いつかきっと良いことが本当に起こるような気がして〟、これは自分でもとても気に入っています。時々、最初から意図していたわけではないのに、書いている中に作中人物が勝手に動き出して、自分の意思で物を言うことがあります。今回はまさに、そういったケースで、もちろん、私自身の奥底にあった言葉だからこそ、こうやって突如として形になったわけですが、筆者としては予想外に飛び出てきた言葉でした。こういった性格の子なら、こんな場合は何て言うだろうかと考えながら書いている中に、浮かんできた科白です。
本当に座右の銘としておきたい言葉です。これは私ではなく、お都弥ちゃんが私に教えてくれた大切なことだと思います。
さて、お民さんの生涯に深ーく拘わってきた嘉門ですが、若き日は、こんなに純情な青年というか少年時代もあったのですね。お都弥さんが生きていれば、きっと、その後の嘉門とお民の人生も大きく変わっていたでしょうし、二人が後に出逢うこともなかったでしょう。
元々は〝玉ゆら〟にほんの一部登場しただけにすぎない源治とお民がシリーズ物の主役となり、これは私としては珍しいことです。本編の端役が短編とか番外編の寄り切りの主人公になることはよくあるんですけどね。
昔から四季の情緒豊かな日本では、その折々の自然を様々な形(言葉)で表現してきました。その一つがこのかさねいろではないかと私は考えています。当然ながら、各作品はその設定した色目を頭に思い浮かべながら描きました。いわば、作品そのものを色でたとえるなら、そのような色目になるように描いたつもりです。
また、上巻はエモーショナル、いわば情熱的な描写が多かったのに比べて、下巻はそういったものを極力抑えめに描いてみました。
なお、最後に一つだけ。最後の番外編〝白粉花〟の中でお都弥が嘉門に言った言葉、〝自分に起こった不幸の数をかぞえていたら、それこそキリがありませんよ。悪いことより、良いことの方を数えて、明日はまた一つ良いことが増えれば良いなと仏さまにお願いするんです。そうやって一日、一日、大切に生きてゆけば、いつかきっと良いことが本当に起こるような気がして〟、これは自分でもとても気に入っています。時々、最初から意図していたわけではないのに、書いている中に作中人物が勝手に動き出して、自分の意思で物を言うことがあります。今回はまさに、そういったケースで、もちろん、私自身の奥底にあった言葉だからこそ、こうやって突如として形になったわけですが、筆者としては予想外に飛び出てきた言葉でした。こういった性格の子なら、こんな場合は何て言うだろうかと考えながら書いている中に、浮かんできた科白です。
本当に座右の銘としておきたい言葉です。これは私ではなく、お都弥ちゃんが私に教えてくれた大切なことだと思います。
さて、お民さんの生涯に深ーく拘わってきた嘉門ですが、若き日は、こんなに純情な青年というか少年時代もあったのですね。お都弥さんが生きていれば、きっと、その後の嘉門とお民の人生も大きく変わっていたでしょうし、二人が後に出逢うこともなかったでしょう。
元々は〝玉ゆら〟にほんの一部登場しただけにすぎない源治とお民がシリーズ物の主役となり、これは私としては珍しいことです。本編の端役が短編とか番外編の寄り切りの主人公になることはよくあるんですけどね。