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SSS-EX 世紀末青春子守唄
第2章 抑圧
私たちの敵は何か。同じ車両の同じ扉から乗り込む大人たち。邪魔だと睨むオッサンやオバサン。まずはそこだったのが、段々、広がっていった。下校する私たちが座っていると、
「邪魔だ!」
「席を譲れ!」
と、怒鳴り、鞄を蹴り、頭を叩く大人たち。
そして、成績表を見て、一喜一憂する親たち。そんな点数の数点に何の価値があるのか。偏差値ってそんなに価値があるのか?そういう反発。
努力を認めず、結果だけで云々する大人たちへの反発。それを言い合える、同じ境遇の仲間。いつも愚痴を聞いてくれて、頷いてくれる『ヒロ』という存在は、あの頃の私たちには、至高だった。誰にもできない愚痴。学校の中でなんてもってのほか、家でも口にできない愚痴を、聞いてくれる人がいるという幸せ。
それを供給してくれたのは、『ヒロ』という存在。太い眉にシャープは顎、切れ長の目。一見、ヤンチャそうなのに、大人しくて、優しくて、真面目で、思いやりの塊のような男の子。胸に『S』という文字が入ったジャケットの制服がダサい清風の制服がまったく似合わない男の子だった。
私が中学三年間、守って欲しかった男の子。
女子3人が『彼』を必要としていた。そして、『彼』こと『ヒロ』を奪い合うことなく共有できた奇跡。その奇跡は多分、『ヒロ』の鈍感さにあったと思う。でも、もしかしたら、私たちがいがみ合わないように、『ヒロ』が鈍感なふりをしていたのかもしれないと、思わないでもないけど、『ゆか』は、
「それは、『とも』の思い過ごし。本当に、『ヒロ』は鈍感だから」
と、幼馴染の長い経験から話していた。確かに、『ゆか』が自転車通学になると行ったときも、「自転車通学の方が早い」と平気で言ってしまう『ヒロ』だから。『ゆか』の一緒に通えなくなるという悲しみ。もっといえば、自分に向けられている『ゆか』の好意に気が付かない鈍感さ。
でも、それも本当に鈍感だったのか、私は疑っている。親に逆らえない中学生だった『ゆか』に何を言っても、無駄なのに、できもしない提案や、意見、『ゆか』の親への不満や不平を『ゆか』と一緒になって言わないのが、『ヒロ』の優しさだったのかもしれない。
「邪魔だ!」
「席を譲れ!」
と、怒鳴り、鞄を蹴り、頭を叩く大人たち。
そして、成績表を見て、一喜一憂する親たち。そんな点数の数点に何の価値があるのか。偏差値ってそんなに価値があるのか?そういう反発。
努力を認めず、結果だけで云々する大人たちへの反発。それを言い合える、同じ境遇の仲間。いつも愚痴を聞いてくれて、頷いてくれる『ヒロ』という存在は、あの頃の私たちには、至高だった。誰にもできない愚痴。学校の中でなんてもってのほか、家でも口にできない愚痴を、聞いてくれる人がいるという幸せ。
それを供給してくれたのは、『ヒロ』という存在。太い眉にシャープは顎、切れ長の目。一見、ヤンチャそうなのに、大人しくて、優しくて、真面目で、思いやりの塊のような男の子。胸に『S』という文字が入ったジャケットの制服がダサい清風の制服がまったく似合わない男の子だった。
私が中学三年間、守って欲しかった男の子。
女子3人が『彼』を必要としていた。そして、『彼』こと『ヒロ』を奪い合うことなく共有できた奇跡。その奇跡は多分、『ヒロ』の鈍感さにあったと思う。でも、もしかしたら、私たちがいがみ合わないように、『ヒロ』が鈍感なふりをしていたのかもしれないと、思わないでもないけど、『ゆか』は、
「それは、『とも』の思い過ごし。本当に、『ヒロ』は鈍感だから」
と、幼馴染の長い経験から話していた。確かに、『ゆか』が自転車通学になると行ったときも、「自転車通学の方が早い」と平気で言ってしまう『ヒロ』だから。『ゆか』の一緒に通えなくなるという悲しみ。もっといえば、自分に向けられている『ゆか』の好意に気が付かない鈍感さ。
でも、それも本当に鈍感だったのか、私は疑っている。親に逆らえない中学生だった『ゆか』に何を言っても、無駄なのに、できもしない提案や、意見、『ゆか』の親への不満や不平を『ゆか』と一緒になって言わないのが、『ヒロ』の優しさだったのかもしれない。