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狂人、淫獣を作る
第1章 獲物
(1)
二人は風呂から上がって、タバコをくゆらせつつ将棋で一勝負終えたあと、熱燗を酌み交わしながらお互いの『嗜好』について語り合っていた。穏やかな冬の日光が障子一杯に広がって、八畳ほどの和室をほかほかと暖めていた。大きな桐の火鉢には、銀瓶が密かな情熱を秘めているような音を立てて沸いていた。はた目にはゆるい空気の流れるのどかな冬の温泉宿の午後だった。
和室にはこの火鉢しか暖房がない。雑菌を除去するおせっかいなエアコンはおろか、昭和の悪臭がする石油ストーブさえもない。まるで明治か大正のまま時間が止まっているような場所である。二人の中年男は浴衣に羽織、半纏という出で立ちだが、しかしこの火鉢というものが意外に暖かく、心地いい。むやみやたらに空気を乾燥させることもなく、鉄瓶から出る蒸気が周囲を潤し、意志に反して勝手に延々言葉を発し続けるほどに喉の滑りが良くなるような、そんな気にさえなる。
ここは信州のとある山奥にある、秘湯中の秘湯と呼ばれる温泉旅館だった。車がなければまずたどり着くことはできない。鉄道からもはるか遠く離れており、旅館からの送迎もない。部屋数も少なく、ひとつひとつが離れになっていて、源泉かけ流しの大浴場もあるが各々の部屋にも個別に露天風呂が付いている贅沢な造りで、宿泊料は相当高い部類に入る。にもかかわらず、ここは常に一定の客がいる。客たちはおおむね経済的に裕福であり、時にはVIPであったりする。彼らは、ほとんど世間に知られていないこの宿を、心底のんびりとした休息に充てられる『隠れ家』として利用していた。
この部屋の主である後藤は、都内で複数のビルを所有するオーナーで、自宅に妻と中学生の一人娘を置いたまま、すでに一週間ほど逗留し気ままな時間を過ごしていた。後藤は目の前の男が持つ猪口に熱燗を注いでやったり、あるいは自分が注いでもらったりしつつ、お互いの共通の嗜好である嗜虐性愛――SMについて雑談を交わしていた。