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黒椿人形館
第4章 壁

(4)

 「街で声を掛けられただけだよ」
 穴越しにしのめはそう言った。
 真菜もしのめも、情欲の海に溺れ切っていた身体が徐々に静けさを取り戻していた。
 お互い、絨毯の上に仰向けに力なく転がり、首だけを横に曲げて、穴を通じて顔を見ながら話していた。
 「ウソ……しのちゃんが声掛けられただけで、ひょいひょいと男の人に付いていくなんて考えられない」
 いつも凛としているしのめが、見ず知らずの男にナンパされて付いていくなんて想像もできない。
 「本当は、もっとひどいことされたんじゃないの? クスリとか、催眠術とか……」
 真菜の言葉にしのめは、ばかばかしいと言わんばかりに力なく笑った。
 「マナ……時々自分を壊したくなること、ない?」
 「……えっ……?」
 「ヤケになって自分をむちゃくちゃにしたいって」
 「……ないよ、そんなの」
 「だよね」
 「だからあの男に付いて行ったとでも言うの?」
 「……ちょうどそんな気分だったのかな……」
 「しのちゃん、脅されてるんでしょ? 変なこと言うようにしてるんでしょ?」
 「生まれた時から将来が決められちゃってる中で生きてく気持ち、分かる?」
 「……なに? 急に……」
 「老舗の家に生まれて、中学生で許嫁決められて、いずれ婿養子に取って彼が家を継いで、私は跡継ぎを産むことだけ期待されて……この平成の世の中にいまだにそんな家があるんだよ? そうやって歳とっていくだけの、道具みたいな人生が決められてる女の気持ち、分かる?」
 しのめがいずれ実家の造り酒屋を継がなければならないことは知っていたが、それは当たり前のこととして受け止めていると真菜は思っていた。
 『道具みたいな人生』――そんな風にしのめが苦しんでいるとは思わなかったし、そぶりを見せたことさえなかった。
 「……だからって、しのちゃんずっとここにいるつもりなの?」
 「ご主人様は人形として愛でられる悦びを教えてくれたの……道具じゃなくてね」
 「……人形って……本気で言ってるの……?」
 しのめは真菜を見つめながら、ゆっくりと首を縦に振った。
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