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絹倉家の隷嬢
第1章 邂逅
1.邂逅
(1)
大きな洋館だ。
古い長屋住まいの修一の目には、その子爵家の屋敷は童話に出てくる宮殿のように思えた。
二階建てで部屋はいくつもあり、屋根の上には大きな時計台まで付いている。
時は夜九時くらいだろうか。洋館の裏手はすぐ後ろが森になっていて周囲はすっかり闇に包まれている。修一を照らすものは何もない。着物も汚れて暗い色なので余計目立たない。
尋常小学校の五年、まだ十一歳の子供にありがちな向こう見ずさと夜の闇のおかげで、修一はためらうことなく先端に鈎の付いた縄を洋館の屋根に放り投げた。
荷足船の船頭である父の仕事を幼い頃から手伝っていたので、縄の扱いは慣れている。鈎は簡単に屋根に引っ掛かった。
縄を何度か引いてみる。修一の軽い体を支えるには十分な掛かり具合だ。修一は一階の大きな窓の横の壁を、縄を伝ってヒョイヒョイといとも簡単に登っていった。
二階角部屋の窓の横まで来た。その窓からは、薄紅い明かりが漏れている。
修一から見て遠い方、屋敷の向こう側はいくつか部屋の明かりが点いているが、近い方のこちら側はこの部屋以外は真っ暗だ。おそらく向こう側に寝室や居間などが集まっていて、こちら側は台所や食堂になっているのだろう。人目を忍ぶには都合がいい。
修一は片手で縄をしっかりつかんだまま、一階と二階の間にある庇の上に移動した。いや、レンガ一個分ほどの石材が壁から突き出ているだけなので庇と呼べるほどのものではない。とはいえ身軽な修一にとって足場としては十分だった。
ようやく、噂の真相を確かめる時がやってきた。
『夜、絹倉子爵邸から奇妙な女の声が聞こえることがある――それは叫びでも悲嘆でもない不気味な声で、その時だけ、ある部屋が妖しく真紅に灯る――』
そういう噂が、ここ半年くらい前から流れていた。
しかし噂の対象が対象だけに、周辺住民は誰もその真相を探ろうなどとしなかった。なにしろ子爵家である。知らないふりをするのが一番いい。
修一は違った。
人一倍好奇心が強く、運動神経抜群のこの子供はそれを確かめずにはいられなかった。
頭が窓にかからないよう体を下げながら慎重に庇にかけた足を動かした。少し頭を上げれば窓から中を覗ける位置までやってくる。