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石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
第3章 参
【参】
石澤邸から迎えの駕籠がよこされるというのを断り、お民は一人、身の周りの品々だけを風呂敷包みにくるみ徳平店を出た。
その日は二月最後の日の空気が身も凍るほどに寒い朝であった。
差配の彦六は木戸口まで見送ってくれたが、他の長屋の住人はむろん、源治の姿はなかった。
源治はその日、仕事にも出かけず家にいたのだが、最後まで何も言わなかった。ただ泣きそうな表情で出てゆくお民を見つめていた―。
他の住人にしても、お民一人をいわば人身御供にして、自分たちの安寧が守られるといった気持ちが拭えないのだろう。その後ろめたさからか、誰もが中に引っ込んで出てこようとはしなかった。源治にしてみても、己れの女房一人を守れぬ不甲斐なき亭主だと自分を責めているはずであった。
徳平店から和泉橋町の石澤嘉門の屋敷までの距離は知れている。一人、その道程(みちのり)を歩きつつ、和泉橋を渡ったその時、背後から脚音が追いかけてくるのに気付いた。
振り向けば、橋の向こうに源治が荒い息を吐きながら佇んでいた。
―お前さんッ!!
お民は心の中で叫び、良人に縋りつきたい衝動に耐えた。
この小さな橋一つが今は二人を隔てている。果たして、自分はこの橋を再び渡って良人の許に帰る日が来るのだろうか。もしかしたら、二度と戻れぬかもしれない修羅の橋を今、自分は渡ったのだ。
お民と源治は橋を挟んで、しばし見つめ合う。
今日も川は穏やかに流れている。その川の流れにも似た静かな刻が流れる。
やがて想いを振り切るように、お民が背を向けて歩き出す。
「―お民ッ、行くな」
源治の悲痛な叫びが聞こえてくる。
お民はついに一度も振り返ることなく唇を噛みしめ、ただ前だけを見つめてひたすら歩いた。
四半刻ほど歩いた頃、眼前にいかめしい造りの重厚な門が見えてきた。
まるでお民を威圧するかのように眼の前に立ちはだかるこの門の向こうに続く屋敷こそ石澤嘉門の住まいである。
石澤邸から迎えの駕籠がよこされるというのを断り、お民は一人、身の周りの品々だけを風呂敷包みにくるみ徳平店を出た。
その日は二月最後の日の空気が身も凍るほどに寒い朝であった。
差配の彦六は木戸口まで見送ってくれたが、他の長屋の住人はむろん、源治の姿はなかった。
源治はその日、仕事にも出かけず家にいたのだが、最後まで何も言わなかった。ただ泣きそうな表情で出てゆくお民を見つめていた―。
他の住人にしても、お民一人をいわば人身御供にして、自分たちの安寧が守られるといった気持ちが拭えないのだろう。その後ろめたさからか、誰もが中に引っ込んで出てこようとはしなかった。源治にしてみても、己れの女房一人を守れぬ不甲斐なき亭主だと自分を責めているはずであった。
徳平店から和泉橋町の石澤嘉門の屋敷までの距離は知れている。一人、その道程(みちのり)を歩きつつ、和泉橋を渡ったその時、背後から脚音が追いかけてくるのに気付いた。
振り向けば、橋の向こうに源治が荒い息を吐きながら佇んでいた。
―お前さんッ!!
お民は心の中で叫び、良人に縋りつきたい衝動に耐えた。
この小さな橋一つが今は二人を隔てている。果たして、自分はこの橋を再び渡って良人の許に帰る日が来るのだろうか。もしかしたら、二度と戻れぬかもしれない修羅の橋を今、自分は渡ったのだ。
お民と源治は橋を挟んで、しばし見つめ合う。
今日も川は穏やかに流れている。その川の流れにも似た静かな刻が流れる。
やがて想いを振り切るように、お民が背を向けて歩き出す。
「―お民ッ、行くな」
源治の悲痛な叫びが聞こえてくる。
お民はついに一度も振り返ることなく唇を噛みしめ、ただ前だけを見つめてひたすら歩いた。
四半刻ほど歩いた頃、眼前にいかめしい造りの重厚な門が見えてきた。
まるでお民を威圧するかのように眼の前に立ちはだかるこの門の向こうに続く屋敷こそ石澤嘉門の住まいである。