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吼える月
第36章 幻惑
 

 ……過去、女を抱いたことはあった。
 それが大人の男の割礼の儀式なのだと、ギルに言われたからだ。

 こんなものかと思った。
 ギルは女を攫って色事に励むのが好きだったけれど、自分は好きではなく、無理矢理宛がわれて、積極的になった女の奉仕にも勃たなかった時もあるほどで。

 それがこんなにも、痛いくらいに猛るとは。

 それほどにユウナを欲し、それほどにサクを退けたく。

 ああ、あれが自分だったら……。
 ユウナと心も通い合わせて、ひとつになれたのなら……。

「あああああああ!」

 シバは報われない思いに、また涙する。

 身体は十分鍛えてきた。
 精神も鍛えたのだと、そう思ってきたのに……、初めての恋心が砕かれる瞬間は、こんなにも無防備に痛みを感じるものなのか。
 こんなにも絶望に身体が動かなくなるものなのか。

 なんという腑抜けなのだ、自分は!

 ……無防備になったからこそ、黒い影が忍び寄っていることに、彼は気づかなかった。

 絡み合い睦み合うふたりは喘ぎ声を響かせながら、卑猥な音をたてながらどんなに相手を欲しているのか、己の興奮を物語る。

『サク、そんな奥駄目ぇぇぇぇっ』

『ユウナは奥が好きなんだろう? 奥で……俺を受け止めて』

『うんうんっ、サク、奥に……熱いのをちょうだいっ』

 悔しい。
 悔しい。
 悔しい。

 どうして選ばれるのは奴なんだ。
 どうして奴ばかりが欲しいものを手に入れられるんだ。

 オレにもっと力があったのなら。
 サクより力があったのなら。

 ユウナは……あの女は、手ニ入ルノニ……。

 噛みしめた唇から血がぽたりぽたりと地面に滴り落ち、黒い影がその血を媒介にして、シバにささやきかける。

――ホウ……。ナンジモ、ワレラヲモトメルカ。

 それは誘惑の声だった。

――チカラノダイショウニ、ナンジハ、ナニヲササゲルカ?
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