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あの店に彼がいるそうです
第8章 一体なんの冗談だ
「なんなんですか、今日は」
 ふいっと後ろを向いて座る。
「今日、は?」
 ああ、くそ。
 確かに今日が特別どうこうってわけでもないけど。
「……なんでもありません」
 立ち上がる音がしたかと思うと、クッションを剥ぎ取られる。
 それだけで一気に無防備になってしまった気がして縋りつくが、身長差は大きい。
 伸ばした手を掴まれる。
 びくりと背中が跳ねた。
「な、んですか」
 声が震えている。
 今度も視線から逃れられない。
 座ることも出来ずに、類沢を見上げる。
「何されると思ってるの?」
 俺は言葉も紡げずに腰が抜けた。
 吐息交じりの囁きに意識さえ奪われそうになって。
 ギシリとソファが軋む。
 手は掴まれたまま。
 そこから熱が広がって、覆い尽くされてしまう。
 灯りは点いているのに、背後の闇夜が下りてくるようだ。
「その眼……」
「え?」
 ぱっと手を離される。
 類沢は口を手で押さえて窓に向かった。
 カーテンを閉じ、そのまま空を見つめる。
「似てるんだよね……怖がって、逆らえなくて、流されることに怯えて」
 窓の外に過去の景色が広がっているんだろうか。
 類沢は二枚の布の隙間から外を眺める。
 ゆっくりと一言一言が耳に浸みる。
「誰に、ですか」
 まだ心臓が落ち着かない胸を押さえて尋ねる。
 振り返った類沢は、店での顔に戻っていた。
「さあ、誰だろうね」
 にこりと。
 感情を殺した笑みで。
 俺はどうしたらいいのかわからず、ソファに沈む。
 いつ、この人のことがわかるんだろう。
 一生ないんじゃないかな。
 それくらい、彼の後ろの闇は深すぎる。
「あの手紙のこと、聞きたい?」
 それは質問じゃないんだろう。
「おいで」
 見えない紐に引かれるように、俺は類沢のあとから寝室に入った。
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