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あの店に彼がいるそうです
第15章 あの店に彼がいるそうです
動けなかった。
誰かが背中を押す。
大きくて、長い指。
ああ。
きっと、あの人の。
振り向くと、瀬々晃だった。
それも信じられず、眼を見開くも他の手にまた前に促される。
晃は店の裏で煙草を突きつけたときとは違う、はっきりと俺をライバル視した眼で睨みつけてきた。
三嗣の手が服の裾を引く。
頑張りましたね、瑞希さん。
そんな表情で。
グラスを磨いていた時のように。
一夜も見てる。
客に酒を浴びせられた時も決して澱まなかった眼で。
なんで、一夜じゃないんだろう。
俺なんだろう。
「退職祝いに、お前の客全員が相当のチップをくれたそうだ」
分厚い封筒を手に、篠田がそう言った。
違う色の戸惑いが広がる。
そうだ。
誰にも、言ってなかった。
チーフ以外には。
「みぃずき、辞めんの?」
アカが前に出てくる。
蜜壺の時は、二人きりで裏口を見張ったんだった。
あれ以来、深い話はしてないけど。
だって奥に潜む暴力性を見てしまったら、近づきにくい。
「ああ。これで借金返済だ」
篠田が封筒から束を取り出す。
残りの額を。
そうして薄くなった封筒を差し出す。
呆然としつつも受取ろうとした手からすっと引かれた。
「お前は本当に、借金の為だけに働いてたのか?」
ずぐりと心の底まで刺すような言葉だった。
答えが見つからないほど。
沈黙を破ったのは、千夏だった。
「いつでも帰ってきなよ」
振り向くと、一夜と三嗣に挟まれて千夏が微笑んでいた。
いつもは絶対ならばないのに。
いや……
いつから?
もう、この店の変化は数え切れない。
類沢さんの派閥も何人か抜け、それ以外は独自で売り上げを伸ばしている。
俺みたいに特殊な売り上げじゃない。
ちゃんと、実力で。
「お疲れ」
今度はちゃんと、封筒を受け取った。
店から出て、近くの居酒屋でアカの飲み会に参加することになった。
羽生兄弟も一緒だ。
店とは違う開放感のある熱気。
ほぼ全員が二十代前半で活気も凄い。
「いつもアカが奢ってんの?」
「まあねえ。おれもその方が愉しいし」
隣おいでー、と言われてアカと並んで壁にもたれて半時間。
「送別会なんてないと思ってた」
「みぃずきがいなくなったら、寂しいからね。おれは……。って何無言になってんの?」
「いや、びっくりして」