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あの店に彼がいるそうです
第15章 あの店に彼がいるそうです
快活な笑い。
記憶の中の声。
一ヶ月も聞かないと、わからないと思ってたものだけど、実際はついさっき聞いたばかりにすら。
コツコツと近づいてくる足音に心臓が慌てふためいている。
「な、にして」
「うん? 今日は開店日っていうからね。見に来たんだよ」
普通だ。
異常なほどに普通だ。
「なんですか、その髪型」
「春哉にも笑われたよ」
「似合わないですよ」
「今まで長すぎたからね」
「ここはスフィンクスじゃないんですから」
「香りにこだわってるところは近づけてるんじゃない?」
「俺もそれ思いましたけど」
カツン。
爪先が触れ合いそうな位置で立ち止まる。
頬に伸ばされた手を、俺は反射的に後ずさって拒絶した。
互いに気まずい沈黙が流れる。
ああ。
一瞬で瓦解する「普通」。
仮面を通してたって、誤魔化せない。
「……瑞希」
「とりあえず顔以外」
「え?」
俺の呟きが聞き取れなかった類沢の肩を小突く。
中指の間接を立てたから、結構痛い。
類沢は肩を押さえて苦く笑った。
「なに?」
「チーフと話したんです。とりあえず顔以外一発殴ろうって」
ああ。
もう。
限界だ。
でもここじゃ、晃とか来るかもしれないから。
俺は無理矢理類沢の手を引いた。
「瑞希?」
「俺の初めてのVIP客にしますからついてきてください」
螺旋階段をゆっくり上る。
走ったら、溢れてしまいそうだから。
ぼたぼた。
俯いて歩く俺の背中に視線を感じる。
繋いだ手は、冷たくて大きい。
少しだけ握り返してくる圧力が心地いい。
四人で紅茶を飲んだ部屋を過ぎ、黒い木扉を開いて中に入る。
手に微かに興奮が伝わってきた。
篠田の拘りの部屋。
黒を基調にしたシンプルな造りだが、飾ってある絵画、照明の質から一際異なる空気を素人でも感じ取れる。
ここに幾らかけたのか、俺にはたぶん一生理解できない。
類沢が足を踏み入れ、過去を懐かしむように部屋を見回す。
目を細めて。
オールバックにした首元程度の髪は見慣れない。
「座ってください」
上座を示し、類沢の背を押す。
「ファーストドリンク取ってくるんで」
無造作に言い捨てて、隣の部屋からグラスとシャンパンロゼを持ち出す。
料金は天引きだ。
構わない。