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鈴(REI)~その先にあるものは~
第2章 友の悲劇~無明~
 とにかく悪評には枚挙に暇(いとま)がない殿さまであった。そんな藩主であれば、森で偶然見かけたお香代の美しさに眼を止めたとしても不思議はない。
 恐らく、今回のその指南役云々という突然降って湧いたような話も、お香代を死なせてしまったという罪滅ぼしだとか、詫びのつもりではあるまい。大方は、自分が手込めにし、好き放題に犯した女の亭主の間抜け面をその眼でとくと見てやろう、女房を辱めた男の膝元に這いつくばる女の亭主の顔を見てやろう―そんな類の気紛れだろう。
 いかにも〝畜生公〟と畏怖される馬鹿殿の考えそうな趣向だ。〝畜生公〟という呼び名は、何も罪もない動物を無体に殺すからだけではない。そのような悪逆非道は、たとえ犬畜生でもしないだろうということから、その冷酷さを〝畜生公〟と謳われているのだ。
「お香代ちゃんを手込めにしただけでは足りず、今度は小五郎さままでをもそのように愚弄なさる―、お殿さまはどこまで他人(ひと)を貶めれば気が済むのか」
 お亀は唇を噛みしめた。
 お香代は、あれほど小五郎の子を生むことを願っていた。待ち侘びて望んでやっと授かった子が、陵辱の末に身ごもった子かもしれぬと知ったときの、お香代の絶望と哀しみは計り知れなかったろう。
 お亀は、無念の中に逝った友が哀れでならなかった。
「お亀どの、私は身を隠そうと思います。指南役にという命を拒めば、あの藩主のことゆえ、私の身も到底、ただではあい済みますまい。されど、いかにしても、妻を辱め死に追いやった男におめおめと仕えるなぞ、私にはできませぬ。それゆえ、しばし身を隠そうと決め、本日ここをお訪ねした次第にござる」 小五郎が差し出した手ぬぐいをお亀は受け取った。
 視線が宙で交わる。
 強い、意思を宿した瞳が決然とお亀を見つめていた。
「どうか、お達者でお過ごし下され」
 小五郎が深々と頭を垂れた。
 来たときと同様、ひっそりと去ってゆく男の背を、お亀は暗澹たる想いで見つめた。
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