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鈴(REI)~その先にあるものは~
第1章 序章~萌黄の風~
が、幹之進の言葉の意味するところはすぐに知れた。
勝敗はいとも呆気なくついた。
たった一人で立ち向かっていた農民の子は、何と数人の大柄な年上の少年たちをすべてたった一本の棒きれで見事打ち据えて見せたのだ。鮮やかな一本勝ちであった。
―先生、あの小僧、ただ者ではございませんな。
弟子の言葉に、幹之進は満足げな面持ちで頷いた。
―光り輝く石の原石はどこに転がっているか判らぬ。いや、むしろ、このような野や路傍にこそ、得がたき剣士の卵が見つかるものかもしれぬ。儂(わし)は常々、そなたたち門弟に言い聞かせてきたであろうが。身分は人を作るのではなく、その人が内面に持つものや努力して培ってきたものこそがその人を作るのだと。あれは磨けば光る玉になるぞ。
そのときの幹之進の顔は実に嬉しげであったという。その前年、幹之進は長年手塩に掛けて可愛がってきた愛弟子の一人を病で失ったばかりであった。幼いときから見い出し、いずれは養嗣子にもとゆく末を嘱望していた愛弟子の死に消沈していた幹之進が久々に見せた晴れやかな笑顔であった。
そして、その時、幹之進に付き従っていた相田久磨(きゆうま)こそが、後に小五郎の義兄(あに)となった人である。幹之進が跡目にと考えていた天才少年剣士相田尚(しよう)五郎(ごろう)は久磨の実弟であった。久磨は師の意を汲んで、両親を説き伏せ、当時は倻吉(やきち)と名乗っていた小五郎を相田家に養子として迎え入れた。
以来、藩より二百石を賜る馬廻り役を代々仰せつかる相田家の次男坊として、倻吉改め小五郎は剣と学問の鍛錬に励んできた。自らが立派なひとかどの武士となることこそが、我が身を見い出してくれた師匠、また、見ず知らずの百姓の小倅をいきなり息子として迎え入れてくれた相田家の人々への恩に報いることだと考えてきた。
勝敗はいとも呆気なくついた。
たった一人で立ち向かっていた農民の子は、何と数人の大柄な年上の少年たちをすべてたった一本の棒きれで見事打ち据えて見せたのだ。鮮やかな一本勝ちであった。
―先生、あの小僧、ただ者ではございませんな。
弟子の言葉に、幹之進は満足げな面持ちで頷いた。
―光り輝く石の原石はどこに転がっているか判らぬ。いや、むしろ、このような野や路傍にこそ、得がたき剣士の卵が見つかるものかもしれぬ。儂(わし)は常々、そなたたち門弟に言い聞かせてきたであろうが。身分は人を作るのではなく、その人が内面に持つものや努力して培ってきたものこそがその人を作るのだと。あれは磨けば光る玉になるぞ。
そのときの幹之進の顔は実に嬉しげであったという。その前年、幹之進は長年手塩に掛けて可愛がってきた愛弟子の一人を病で失ったばかりであった。幼いときから見い出し、いずれは養嗣子にもとゆく末を嘱望していた愛弟子の死に消沈していた幹之進が久々に見せた晴れやかな笑顔であった。
そして、その時、幹之進に付き従っていた相田久磨(きゆうま)こそが、後に小五郎の義兄(あに)となった人である。幹之進が跡目にと考えていた天才少年剣士相田尚(しよう)五郎(ごろう)は久磨の実弟であった。久磨は師の意を汲んで、両親を説き伏せ、当時は倻吉(やきち)と名乗っていた小五郎を相田家に養子として迎え入れた。
以来、藩より二百石を賜る馬廻り役を代々仰せつかる相田家の次男坊として、倻吉改め小五郎は剣と学問の鍛錬に励んできた。自らが立派なひとかどの武士となることこそが、我が身を見い出してくれた師匠、また、見ず知らずの百姓の小倅をいきなり息子として迎え入れてくれた相田家の人々への恩に報いることだと考えてきた。