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鈴(REI)~その先にあるものは~
第1章 序章~萌黄の風~
 若い男はまだ高笑いしながら、愉快げにお香代を見下ろしている。
 そのあまりに人を見下した傲岸な態度に、お香代はいっとき恐怖を忘れ、憤りさえ憶えた。すんでのところで馬が止まったから良いようなものの、もし馬が止まらなければ、お香代は今頃は間違いなく馬の蹄に蹴られて死んでいただろう。
 いや、この状況では、助かった方が不思議というほどの切迫した状況であったはずだ。現に、馬が止まっている位置は、お香代が立っているその場所のまさに数歩手前だった。
 それなのに、この男は詫びるどころか、馬から下りもせず、不遜に笑っているのだ!
「失礼ではございますが、そのなさり様は、あまりといえばあまりではございますまいか。もし、あなたさまの御馬が止まらなければ、私は危うく撥ね飛ばされるところでごさいました」
 後になって、お香代はこの時、何故、そのままさっさと立ち去らなかったのかと後悔した。が、たおやかな外見に似合わぬ勝ち気というか、負けず嫌いの気性がしっかりと出てしまったようだった。
「ホウ、晋(しん)三郎(さぶろう)。こんなところに、気の荒い獲物が一匹、いたぞ。さて、どうする」
 馬上の男は、お香代の言葉なぞ端から耳にも入らぬ様子で面白げに顎をしゃくった。
 眩しさに射貫かれていた眼が漸く、明るさに慣れてくる。お香代の眼に、馬上の武士の容貌が映じた。なかなかの男前ではあるが、惜しむらくは両の眼に険があり、全身から荒んだ雰囲気が漂っている。
 お香代には、この男が荒れた生活を送っていることがすぐに判った。人間にはふた通りの別があることを、お香代は幹之進や小五郎のような男を知ってからというもの、学んだ。
 まず、一つの道に無心に打ち込み、己れを心身共に磨き抜くことを生き甲斐としている男。そういった人間は、むろん、己れの道に生きることだけではなく、周囲にも気遣いができる。しかし、何の目的も持たず、ただ遊興に耽り、与えられた身分や地位だけに縋ってのうのうと生きているだけの人間は堕落する。生前、幹之進はこのような類の人間を嫌った。
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