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作品集
第12章 平成28年4月度
ご存じですか…?
■西郷隆盛とは?
西郷は明治新政府誕生後、東京に住みました。
高給をもらっているのに、粗末な「しもたや」に下女一人置き、粗末な
木綿の着物を着ていた。
本当に頓着がないというか、欲がないというか、無私の人だと思います。
「幕府がおかしい」「封建制がおかしい」ということで、若い志士たちが命がけで新政府を作ったわけです。しかし、新政府に就いた人々は壮麗な住宅を建て、華美な服で身を包み、おめかけさんを何人も囲ったりして栄耀栄華をきわめ、
陥落してしまった。
西郷は、その陥落ぶりを見て新政府の中核にありながら悲憤慷慨し、
「明治維新は自分たちの栄耀栄華のためではない」と正論をはいていました。
同時に、「自分がやったことは本当に良かったのか?」「一部の人々が天下をとって贅沢をするために利用されただけではないか」
と悩んで、自身はそうはあるまじと地味な生活を送っていたわけです。
結局、山県有朋や伊藤博文、大久保利通らと意見が合わなくなって、征韓論をきっかけに要職を退きます。欲があれば地位に執着するでしょうが、西郷には欲がないから、さっさと鹿児島に帰りました。
すると、一緒に新政府で働いていた鹿児島の若者たちも官職を辞して帰ってきた。その者たちが不満を抱えているものだから、暴発しないように、さらには将来、有為な人材になるようにと、西郷は私学校をつくったのです。そのうち、鹿児島に潜入してきた薩摩出身の警官が捕まり、訊問されて「西郷を暗殺するためにきた」と白状しました。
それが事実かどうかはいまだに議論されていますが、このことで私学校の生徒が怒り、鹿児島にあったせいふの火薬庫を襲って銃や
銃弾を奪ったのです。
これを知った明治政府は
反乱として鎮圧に動きだしました。
そのときに西郷は大隅半島に猪狩りに行っていたのですが、連絡を受けて急遽帰ってきます。一応、若者たちを止めようとしたものの、あまり積極的ではありませんでした。その理由はいまだにわかっていません。新政府が愛想を尽かしていたこと、西郷独特の情の深さも関係したのではないかと思います。あれほど立派な男が情にほだされて一大事の決断を下すのはおかしいという見方もありますが、月照と入水自殺まで図ったことから考えても、西郷は理よりも情が先に立つ人物であった。
■西郷隆盛とは?
西郷は明治新政府誕生後、東京に住みました。
高給をもらっているのに、粗末な「しもたや」に下女一人置き、粗末な
木綿の着物を着ていた。
本当に頓着がないというか、欲がないというか、無私の人だと思います。
「幕府がおかしい」「封建制がおかしい」ということで、若い志士たちが命がけで新政府を作ったわけです。しかし、新政府に就いた人々は壮麗な住宅を建て、華美な服で身を包み、おめかけさんを何人も囲ったりして栄耀栄華をきわめ、
陥落してしまった。
西郷は、その陥落ぶりを見て新政府の中核にありながら悲憤慷慨し、
「明治維新は自分たちの栄耀栄華のためではない」と正論をはいていました。
同時に、「自分がやったことは本当に良かったのか?」「一部の人々が天下をとって贅沢をするために利用されただけではないか」
と悩んで、自身はそうはあるまじと地味な生活を送っていたわけです。
結局、山県有朋や伊藤博文、大久保利通らと意見が合わなくなって、征韓論をきっかけに要職を退きます。欲があれば地位に執着するでしょうが、西郷には欲がないから、さっさと鹿児島に帰りました。
すると、一緒に新政府で働いていた鹿児島の若者たちも官職を辞して帰ってきた。その者たちが不満を抱えているものだから、暴発しないように、さらには将来、有為な人材になるようにと、西郷は私学校をつくったのです。そのうち、鹿児島に潜入してきた薩摩出身の警官が捕まり、訊問されて「西郷を暗殺するためにきた」と白状しました。
それが事実かどうかはいまだに議論されていますが、このことで私学校の生徒が怒り、鹿児島にあったせいふの火薬庫を襲って銃や
銃弾を奪ったのです。
これを知った明治政府は
反乱として鎮圧に動きだしました。
そのときに西郷は大隅半島に猪狩りに行っていたのですが、連絡を受けて急遽帰ってきます。一応、若者たちを止めようとしたものの、あまり積極的ではありませんでした。その理由はいまだにわかっていません。新政府が愛想を尽かしていたこと、西郷独特の情の深さも関係したのではないかと思います。あれほど立派な男が情にほだされて一大事の決断を下すのはおかしいという見方もありますが、月照と入水自殺まで図ったことから考えても、西郷は理よりも情が先に立つ人物であった。