この作品は18歳未満閲覧禁止です
- 小
- 中
- 大
- テキストサイズ
作品集
第5章 平成27年8月度…
黒田は補欠だったのだ。
……当時の黒田は3番手
投手。公式戦で投げた記憶はないのに、練習や練習試合では何千球と投げた。
エースが投げ過ぎて消耗しないためだった。
「いまでこそ、上宮での経験と母親の厳しさがありがたいと思えますけど、当時は本当に地獄でしたね」
転機は大学だった。
「関西の大学に進学し、楽しい野球をしよう」
と思っていた黒田は・・・「レベルの高い関東の野球にもう一度挑戦してみて、ダメだったらいいじゃないか」という父親の勧めもあり、専修大学へ進学、野球を続けることになる。
当時、東都リーグ2部だった専修大学には、のちに
広島東洋カープのチームメイトとなる小林幹英がひとつ上の先輩として、絶対的な実力を誇っていた。
「ものすごい球を投げている幹英さんを見て、目標というかライバルのような存在ができたことが大きかったですね」
「それまであまりに日々がきつくてそんなこと考える余裕がなかったですから・・」高校の時よりも野球を身近に感じられた
と言うとおり「あの上宮で3年間やったんだ」
というプライドと、自身の叶わなかった甲子園に出場したチームメイトたちに負けたくない、という反骨心が沸々と湧いてきたのだ。黒田投手は、上宮高校の苦しかった経験から・・・
「マウンドは戦場」
……当時の黒田は3番手
投手。公式戦で投げた記憶はないのに、練習や練習試合では何千球と投げた。
エースが投げ過ぎて消耗しないためだった。
「いまでこそ、上宮での経験と母親の厳しさがありがたいと思えますけど、当時は本当に地獄でしたね」
転機は大学だった。
「関西の大学に進学し、楽しい野球をしよう」
と思っていた黒田は・・・「レベルの高い関東の野球にもう一度挑戦してみて、ダメだったらいいじゃないか」という父親の勧めもあり、専修大学へ進学、野球を続けることになる。
当時、東都リーグ2部だった専修大学には、のちに
広島東洋カープのチームメイトとなる小林幹英がひとつ上の先輩として、絶対的な実力を誇っていた。
「ものすごい球を投げている幹英さんを見て、目標というかライバルのような存在ができたことが大きかったですね」
「それまであまりに日々がきつくてそんなこと考える余裕がなかったですから・・」高校の時よりも野球を身近に感じられた
と言うとおり「あの上宮で3年間やったんだ」
というプライドと、自身の叶わなかった甲子園に出場したチームメイトたちに負けたくない、という反骨心が沸々と湧いてきたのだ。黒田投手は、上宮高校の苦しかった経験から・・・
「マウンドは戦場」