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作品集
第5章 平成27年8月度…
素晴らしいと思いました。◆阪神タイガース
藤浪晋太郎投手
一度だけ落とした父の雷。
「約束を守る大切さ」を
伝えた。
土日は主に父が遊び相手になった。
公園を巡りつつ、野球、サッカー、バスケットなどに戯れる。
軟式のテニスボールをカラーバットで打ち始めたのは3歳の時。
晋太郎は野球が大のお気に入りになったが、晋さんは野球選手になって欲しいという思いは微塵もなく、2歳下の弟とともにスポーツ好きの子どもに育ってくれればと思っていた。
明美さんは真冬でも、コートを着せ外で遊ばせた。
雨の日は屋根付きの広場に連れ出し、言うならば
365日、体を動かす環境を作った。
それが高卒ルーキー2年連続2ケタ勝利投手の運動神経を磨いたともいえるのが、それは息子のためというより自分のためだった……「男の子は力が有り余っているから、毎日くたくたに疲れさせないと早く寝てくれない」
「幼稚園に入るまでは午後8時就寝、それ以降は9時。朝は午前7時に起床。就寝と起床時間は小学校卒業まで守らせました」
兄弟の日課は判で押したように繰り返された。
朝公園で遊び、昼ご飯を食べ昼寝し、また公園で遊び、風呂に入りご飯を食べ寝る。夕食は親子4人で食卓を囲む。これが藤波家の流儀だった。寝る子は育つの諺通り、晋太郎は小学校入学時で既に138㎝。
1年で7㎝ずつ伸び卒業時には180㎝に、中三で195㎝になっていた。
手のかからない子供だったが、晋さんは一度だけ雷を落としたことがあるという。兄弟げんかをして弟の頭を殴った時だ。
「頭は大事なところだから絶対に叩いたらアカン」
と教えていたのに、弟の頭をコツンとやった。
約束を破ったので外に放り出し、しばらく家に入れなかった。
父の怒りは、息子に約束を守ることの大切さを心底教え込む。
晋太郎が野球をやりたいといい始めたのは小学校に入って間もないころ。
父と子のボール遊びで、晋太郎が野球に興味を持ち始めたのは感じていたが、それでも小1からチームに入るのは早いと父は反対した。
藤浪晋太郎投手
一度だけ落とした父の雷。
「約束を守る大切さ」を
伝えた。
土日は主に父が遊び相手になった。
公園を巡りつつ、野球、サッカー、バスケットなどに戯れる。
軟式のテニスボールをカラーバットで打ち始めたのは3歳の時。
晋太郎は野球が大のお気に入りになったが、晋さんは野球選手になって欲しいという思いは微塵もなく、2歳下の弟とともにスポーツ好きの子どもに育ってくれればと思っていた。
明美さんは真冬でも、コートを着せ外で遊ばせた。
雨の日は屋根付きの広場に連れ出し、言うならば
365日、体を動かす環境を作った。
それが高卒ルーキー2年連続2ケタ勝利投手の運動神経を磨いたともいえるのが、それは息子のためというより自分のためだった……「男の子は力が有り余っているから、毎日くたくたに疲れさせないと早く寝てくれない」
「幼稚園に入るまでは午後8時就寝、それ以降は9時。朝は午前7時に起床。就寝と起床時間は小学校卒業まで守らせました」
兄弟の日課は判で押したように繰り返された。
朝公園で遊び、昼ご飯を食べ昼寝し、また公園で遊び、風呂に入りご飯を食べ寝る。夕食は親子4人で食卓を囲む。これが藤波家の流儀だった。寝る子は育つの諺通り、晋太郎は小学校入学時で既に138㎝。
1年で7㎝ずつ伸び卒業時には180㎝に、中三で195㎝になっていた。
手のかからない子供だったが、晋さんは一度だけ雷を落としたことがあるという。兄弟げんかをして弟の頭を殴った時だ。
「頭は大事なところだから絶対に叩いたらアカン」
と教えていたのに、弟の頭をコツンとやった。
約束を破ったので外に放り出し、しばらく家に入れなかった。
父の怒りは、息子に約束を守ることの大切さを心底教え込む。
晋太郎が野球をやりたいといい始めたのは小学校に入って間もないころ。
父と子のボール遊びで、晋太郎が野球に興味を持ち始めたのは感じていたが、それでも小1からチームに入るのは早いと父は反対した。