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星と僕たちのあいだに
第9章 涙のゆくえ
内示を受け、一礼して部長室から出て行こうとする早苗を部長が呼び止めた。
『並木、ま、かけろや』
うんざりした一瞬の表情のあと、早苗は応接ソファについた。
部長は肩に首を預けたまま自分のデスクから動かなかった。
『なんでしょうか?』
『きょうのお前、ちょっと気にいらんな』
『何がでしょう?』
『暗いんだよ』
普段からぶっきらぼうな物言いの部長は、彼なりの流儀で早苗を心配した。
ふぅと息をついて、早苗は肩の力を抜いた。
『そりゃ私にだって
悩みのひとつやふたつあります』
『男関係か?』
はぁ? という表情で早苗が部長を見た。
『個人的なことです。
部長には関係ありません』
ふんっと鼻から息を抜いた部長は、肘掛をつかんで肥満気味の体を重そうに持ち上げると、背後のすべり出し窓を押しあけて煙草に火をつけた。
緑の葉をみっしりと茂らせた街路樹の向こうから、目抜き通りを行きかう車の騒音が聞こえた。
『並木、わかってるだろうが、
商社勤めは流浪の民だ。
転勤上等で高い給料もらってる。
でもお前さん、お年頃だ。
お嫁に行くあてがあるんなら、
ここらで身を退いて
一般職に鞍替えって手もある』
部長は早苗に背を向けたまま一服吸うと、窓の外に向かって煙を吐いた。
『行っちまえば、長くなるぜ。
シンガポールがまとまる頃にゃ、
すぐに香港か台湾が立ち上がる』
繊維畑で長年戦い抜いてきた部長の言葉は、企業戦士として女の幸福を捨てる覚悟があるのかどうかを、早苗に糺(ただ)すようであった。
『お嫁に行く予定はありませんね』
『そうか……ならいい。
切っていくもんがあるんなら、
しっかり切ってけ。
それがお前のためにも、
相手のためにもなる』
部長室のドアを閉めると、オフィス中の視線が早苗に刺さった。
早苗は息をひとつついて、自分のデスクへは戻らずレストスペースへ足を向けた。