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星と僕たちのあいだに
第10章 揺らぐ鬼火
『絵本を要望なさったご友人は、
もしかして恋人かしら?』
『いえ、恋人はいません。
正真正銘の男友達です。
イラストレーターなんですけど、
病気で入院してるんです』
『あら、それって発展しそう?』
早苗は口に入れた刺身を味わいながら首を振った。
『そういうふうには
発展しませんでしたね』
佐和が残念そうに眉を寄せた。
『並木さんほどの美人に
恋人がいないなんて嘘よ』
『いえいえ、ほんとに』
早苗はグラスを空にして瓶の残りを注ぎ、あらたにビールを註文した。
『秋にはシンガポールですから。
おかげさまで
なんの未練もなく発てます』
さらりと口にしたが、大嘘をついている自分に早苗の胸は痛んだ。未練はたっぷりある。
早苗の面差しが少し翳(かげ)ったのを佐和は見逃さなかった。
気持ちを切らなければいけない相手とその恋愛について、おそらくまだケリのつかない部分を残しているのだろうと、早苗の気持ちを察した佐和は話題を仕事寄りに振り向けた。
『それにしても香港じゃなく、
シンガポールは英断だと思うわ』
早苗は次の言葉を待つように、佐和へ視線をあてた。
ファッション業界を広く知る佐和の意見は、早苗には貴重だ。
『市場の大きい中国をどうしても
意識せずにはいられないでしょうけど、
香港はまだしも、
中国本土は知的財産に対するモラルがまだまだね。
ブランドが健全に育つ状況にないわ。
香港は中国バブルのあおりで、
出店コストも人件費も高騰してるそうですし、
賄賂もたくさんお支払いしないといけませんしね。
まともな事業を展開しようとすれば、
相当な政治力が必要なんじゃないかしら。
後発ブランドには不利ですわ』
早苗が大きくうなずくのを見て、佐和は続けた。
『アパレルがシンガポールを敬遠してきたのは、
熱帯の暑さとスコールでしょう?
秋冬物が売れないって思われがち。
ところが薄手のダウンジャケットが
飛ぶように売れたの。なぜだと思う?』
『持ち運びが便利だからかな……』