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星と僕たちのあいだに
第10章 揺らぐ鬼火
湯が沸くまでのあいだ、二人は何も話さなかったが、沈黙に息苦しさはなかった。
ときおり二人の目が合うと、それとなしにうつむいたり視線を外したりした。
ドリッパーから立ち昇る湯気に目を細める滝沢を見ながら、麻衣は、力強い安らぎと、眠気を誘うような安堵とがない混ぜになった、奇妙な昂揚(こうよう)を感じていた。
同時に、自分の中で選択をせまる何かが動きはじめたような気がした。
『どうぞ、熱いですよ』
カウンター越しに、湯気の立ったコーヒーとシュークリームを並べてもらい、麻衣はこくりと頭を下げてシュークリームをかじった。
『おいしいです』
『よかった』
唇の端についたクリームを麻衣が舌先で舐めると、二人の間に自然な笑みが、静かにこぼれた。
『滝沢さん、タバコは?』
『品切れでした』
『普段から吸うんですか?』
『いえ、ずっとやめてましたけど、
落ちつきたいときに、
吸いたくなります。
たまに吸うと、くらくらします』
滝沢は頭を揺らしたあと、コーヒーをすすった。
『私、タバコ吸う人、嫌いです』
麻衣が言うと、足組みしてスツールに座る滝沢は、カップに優しい視線を落としたまま、だまって微笑んだ。
カウンターを挟んでコーヒーをすする滝沢を視界に置きながら、麻衣は、以前から自分たちのあいだに漂っていた何とはなしに惹きあう、「見えざる力」について、それがいかなるものであったのか明確な答えを得たような気がした。
滝沢の、直樹の、自分の、それぞれの苦悩の深さや感じ方に違いはあっても、その苦悩の根源は同じところにある。
それは、喪ったもの、あるいは絶対に獲得できないものに対しての、救済のない、地に伏せてのた打ちまわりたくなるほどの、¨飢え¨なのだ。
飢えているからこそ、渇いた者の本当の苦しみがわかる。
同じ苦しみを持つ者の、哀しい咆哮(ほうこう)を聞き分けることができる。
それは同情とか、憐れみとか、傷を舐めあうというような惨めたらしいことではなく、何の物質的見返りも求めない、謙虚で正確な、他者を理解する力だった。
見えざる力の何であるか。
麻衣は、心の深い部分でその感触を得た。
そして、飢えたもの同士だけが為せる、手のたずさえ方、未来へ歩む姿勢というものがあるのではないかと思った。