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星と僕たちのあいだに
第11章 夏の終わりに
圭司は多忙を極めていた。
「LIFE」とタイトルがつけられた初の写真集は個展とともに業界での注目を集め、一定の成功を収めた。
協業者のフレデリックとの交流も深まって、彼のブランドと専任契約を交わした圭司は、五大コレクションにも帯同し、毎月のように海外へ出るようになった。
そのさなか、大手カメラメーカーのフォトコンテストで受賞すると、圭司の知名度は一気に上がり、業界トップクラスのフォトグラファーと同じ扱いを受けるようになった。
すっかり風通しがよくなった早苗との愛情生活は、いつのときも体を寄せあい、抱きあうたびに愛を深め、順風満帆に過ぎていった。
倉庫で二人暮らしをはじめて一年がたった頃、早苗が懐妊したのをきっかけに二人は結婚した。
転勤拒否して以降も、早苗はシンガポールと日本を行き来し、現地でのブランド立ち上げの礎(いしずえ)を固めたのち、惜しまれつつも出産を理由に退職した。
本来、転勤を拒否した時点でクビになるか、よくても窓際で就業時間が過ぎるのを待つだけの憂き目をみるのが暗黙の了解であったものを、早苗の場合これまでの貢献度が評価され、出産予定日の三ヶ月前までプロジェクトの中心で指揮をとることが許されたのだった。
安藤佐和という滑走路から大空へ飛び立ち、押しも押されぬ商業写真家となっても、圭司は身重の早苗と二人、不便な港湾地区の倉庫から住まいを移そうとしなかった。
ここ数年で周囲は新式の鉄骨造の倉庫に建てかわっていき、年季の入った赤レンガの倉庫だけが忘れ物のように建っている。
過去そこにあった耐乏生活は、気の置けぬ仲間との語らいと、いくつかのほろ苦い失恋物語があっただけで、それら過ぎにし日々の瑣末(さまつ)な出来事は、記憶の集積の一部に成り果てていくのに違いない。
決して美しくはなく、おそらく賢明でもなかった。
けれども、もっとも自分たちが無欲に命を燃やし、限りなく清廉(せいれん)でいられたこの場所への郷愁は、童話のような慈しみの光輝を放ち、執拗に居住者の心をつかんで離さない。
港湾地区には小学校がない。
早苗に宿した新しい命がしかるべき年齢に達するまで、だだっ広い古びた棲家を離れずにいようと、二人は決めていた。