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オーバーナイトケース
第1章 ありふれた出会い
コース料理も中盤にさしかかる頃には、
ビールの程よい酔いが回り、口も滑らかに動くようになっていた。
そこで彼の口から聞かされたのは、
女房と9歳の男の子を残して単身赴任してきたこと。
仕事は中堅の商社に勤めていること。
これから住むところは根津というところ、だと教えてくれた。
「僕は大学が仙台だったもんで、東京に住むのは初めてなんですよ。
花楓さん、根津ってご存知ですか?」
「ええ、いいところですよ。
根津神社という有名な神社があるんです。
谷中も近いし。
あ、谷中というのは有名な下町です。
あれ、おかしな言い方ですね、有名な下町、なんて」
コロコロと笑い出した私に付き合って、彼も笑う。
その一体感が、まるで初対面を感じさせなかった。
「よかった。右も左もわからない、知り合いもいない東京で
花楓さんのような知り合いができて。
ね、よかったら友達になってくださいよ。いろいろ教えてください」
そう頭を下げられて、私は考えることなくハイと返事をしていた。
私でよければ、と。
心配していた通り、
苦しい恋の始まりの合図になってしまったが・・