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フルカラーの愛で縛って
第4章 音
女の腕を掴む男の手は強固だった。
平静を失った詩織の身体は、男の力に翻弄されるまま裏のブロック塀に押し付けられた。
男の背後から照らす街頭の灯りで、その表情は暗く黒く見えない。
だが、詩織には、男が口を開くたびに、赤い血塗られた唇と、粘着質な唾液の糸を引く鋭い歯がギラギラと光るような幻覚が見えた。

「探したよ、詩織…。名前を変えているなんて、一言も、言ってくれなかったから、君のくれた誘いに答えるまで、随分かかってしまった」

眼の奥がチカチカして、指先の感覚が無い。
何も聞こえない空間で、男の声だけが地を這うように低く頭の中に入ってくる。

「苗字を、名前代わりにしてBARで働くなんて、……可愛い悪戯をしていたんだね。サクラ」

BARでの従業員名として登録した、己の苗字を呼ばれ、詩織は身体を震わせた。
ある時期から彼女は、芸名を「サクラ」に変えて、BARのホームページにも「Pianist:サクラ」と名前のみ表示するようにしていた。

「君が僕に"探すな"なんて、心にも無い手紙を残したから、きっと寂しがっているんだろうと思って、必死に探したよ」

男が不意に詩織の項に鼻を近づけて、くんと鎖骨の辺りの匂いを嗅いだ。
詩織の皮膚が粟立ち、歯の根がカチカチと音を立て始める。

「僕がインターネットが苦手だって知っていながら、難しい挑戦状だった。いかにも、僕のニンフらしい。小癪(こしゃく)で可愛らしく、ずる賢い」

「…!」

ずり落ちかけた彼女の脚の間に、男は膝を割り入れて肉体を支えた。
その足をグイと詩織の股間に押しあてて、眼鏡越しの瞳が詩織の鼻先に迫った。

「だが、見つけた。もう、大丈夫だよ、詩織。……君が一生、僕の手の中で踊れるように、僕が買い取ってあげるよ。サクラというピアニストを」

狂ってる。
唇に触れる言葉の悍(おぞ)ましさに、詩織は息を止めて身体を硬直させた。
男が顔を少し倒し、そのニタニタと笑う唇を詩織の唇に重ねかけた。皮膚の薄膜が一瞬ふれた時だった。





まるでスローモーションのように、男の身体が吹っ飛び、自販機の前に音を立てて転がった。





自由になった詩織の視界の中に、ステンレスバケツを持った庵原が不機嫌そうに立っていた。



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